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昆布《こんぶ》を造《つく》る神《もの》 [#地付き]三浦 徹 __パウロ__の言《ことば》に曰《いは》く夫《それ》人《ひと》の見《み》ることを得《え》ざる神《かみ》の永能《かぎりなきちから》と其神性《そのかみなること》とは造《つく》られたるものにより創世《よのはじめ》よりこのかたさとり得《え》て明《あきらか》に見《み》るべしと其言宣《そのことはうべ》なるかな抑《そも/\》人《ひと》の下等動物《かとうどうぶつ》と異《ことなる》ものは何《なん》ぞや近江聖人《あふみせいじん》は或《あ》る人《ひと》に答《こた》へて掌《てのひら》の前《まへ》にむかふものは人《ひと》のみ之《こ》れ人《ひと》の他《ほか》の動物《どうぶつ》に異《ことな》る所《ところ》なりと云《い》ひしとかや之《これ》も一理《いちり》あることなるべけれども最《いと》其《その》區別《くべつ》の明《あきらか》なるものは人々《ひと/゛\》固有《こいう》の本心《ほんしん》なり若《も》し人《ひと》樣々《さま/゛\》の世《よ》の執着《しうちやく》を離《はな》れて其本心《そのほんしん》に問《と》ふときは常《つね》に萬有《ばんいう》の大原因《たいげんいん》となるべき神《かみ》を知《し》るものなり下等動物《かとうどうぶつ》に於《おい》ては決《けつ》してこのことあらざるなり時《とき》としては生計《くらし》の苦《くる》しさに晝夜《ひるよる》心《こゝろ》の休《やす》まる時《とき》なく本心《ほんしん》の働《はたらき》を自《みづ》から暗《くらく》し全《まつた》く神《かみ》を念《おも》ふの心《こゝろ》なき人《ひと》もあれど夫《そ》は人《ひと》たるもの〻|常《つね》にはあらずして非常《ひじやう》といふべし爰《こゝ》に其本心《そのほんしん》の働《はたらき》によりて神《かみ》を知《し》り__パウロ__の言《ことば》を証《しよう》するに足《た》るものあり朋友《ともだち》より聞《きけ》るまゝ記《しる》して幼童《こども》諸君《しゆ》に告《つ》ぐ 余《よ》が__キリスト__教《けう》の友《とも》北海道《ほくかいだう》の札幌《さつぽろ》を出《いで》て六七十|里《り》北方《きた》に行《ゆ》きしが幌泉《ほろいづみ》と云《い》へる所《ところ》より四|里程《りほど》にある一の寒村《やせむら》に宿泊《やど》せり此村《このむら》は實《じつ》に遍鄙《へんぴ》にして僅少《わづか》の漁家《すなとりびと》あるのみ其村《そのむら》の前面《まへ》は渺漠《ばつとし》た大洋《だいやう》にして後《うしろ》は嵯峨《さが》たる山又山《やままたやま》なり然《され》ば此地《このち》に住《すま》ひする人々《ひと/゛\》は商業《あきなひ》とてもろく/\爲《な》すことならず毎年《まいねん》海中《うみ》に生《せう》ずる昆布《こんぶ》をとりて生活《くらし》を爲《な》すのみ之《これ》にひきかへ幌泉《ほろいづみ》は魚米《ぎよべい》の地《ち》にて戸數《こすう》も多《おほ》く商店《みせ》もあり自《おのづ》から一市場《まち》を爲《な》して繁華《はんくわ》の地《ち》なり偖《さて》余《よ》が友《とも》は此村《このむら》の旅舍《やどや》に着《ちやく》し滯留《とうりう》すること三日|餘《よ》折《をり》しも安息日《あんそくにち》になりたれば終日《ひねもす》此家《このいへ》にとゞまり教理《をしへ》を談《だん》ずべき兄弟《きやうだい》もなく徒然《つれ/゛\》のあまり一人《ひとり》なりとも友《とも》を得《え》て教《をしえ》のことを語《かた》りきかせたきものなりと迫切《ひたすら》に神《かみ》の恩《めぐみ》を祈《いのり》しが夕飯《ゆふめし》を食《しよく》し終《をは》りし頃《ころ》此家《このいへ》の老婆《ばゝ》なるべし烟管《きせる》烟草入《たばこいれ》を手《て》にさげて客室《きやくま》に入《い》り來《きた》り四方八方《よもやま》の話《はなし》する折《をり》しも余友《よがとも》にむかひ徐《しづか》に云《い》ふやう實《げ》に世《よ》の中《なか》は不思議《ふしぎ》のものなり妾《わらは》は固《もと》越後《ゑちご》に生《うま》れしものなるが此地《このち》に來《きた》りて住《すま》ひしより已《すで》に三十七|年《ねん》の星霜《としつき》を經《へ》たり其間《そのあひだ》毎年々々《まいねん/\/\》八月《はちぐわつ》に至《いた》れば必《かなら》ず此前《このまへ》の海中《うみ》に昆布《こんぶ》を生《せう》ず此地《このち》の人々《ひと/゛\》は皆《みな》此昆布《このこんぶ》をとりて生活《くらし》するものなるが茲《こゝ》に於《おい》て考《かんがへ》るに此昆布《このこんぶ》が毎年々々《まいねん/\/\》相《あひ》かはらず海中《うみ》に生《せう》じて時《とき》を過《あや》またぬは決《けつ》して人爲《ひとのちから》にあらず或《あ》る人《ひと》は之《これ》を自然《しぜん》と云《い》ふめれど妾《わらは》は決《けつ》して然《しか》思《おも》ひはべらず必《かなら》ず之《これ》を造《つく》るものありて斯《か》く生《せう》ずるものなり客人《きやくじん》は未《いま》だ年少《としわか》に見えたまふが此昆《このこん》布を造《つく》るものを知《し》りて過失《あやまち》にな蹈《おちい》りたまひぞ之《これ》より西《にし》に幌泉《ほろいづみ》と云《いお》へる所《ところ》ありて隨分《ずいぶん》に繁昌《はんじやう》する地《ち》なれど繁昌《はんじやう》する程《ほど》にいろ/\わろきものもありて年若《としわか》の人々《ひと/゛\》はかせぎためたる金錢《きんせん》を皆《みな》此幌泉《このほろいづみ》にてつかひ果《はた》し數年《すねん》の辛苦《しんく》も一|朝《てう》の歡樂《たのしみ》をとりかへて人《ひと》には嫌《きら》はれ親族《しんぞく》には疎《うと》まれ甚《はなはだ》しきに至《いた》りては身《み》を亡《ほろ》ぼして終《をは》るものもありとなん此昆布《このこんぶ》を造《つく》るものを知《し》るときは過失《あやまち》に蹈《おちい》ることを免《まぬか》るべし又《また》一《ひとつ》お話《はなし》まうすべきことこそあれ凡《およ》そ世《よ》の人《ひと》たるものは貴賤賢愚《きせんけんぐ》の差別《さべつ》なくいと貴《たふと》き靈魂《たましひ》と云《い》ふものあり客人《きやくじん》は能《よ》く知《し》りたまふやいなや決《けつ》して消滅《せうめつ》するものならず此身躰《このからだ》は年老《としおひ》て死果《しにはつ》るとも靈魂《たましひ》は永遠《いつまで》も活《いき》て亡《ほろ》ぶことなし人又《ひとまた》此靈魂《このたましひ》が永遠《いつまで》も活《いき》るものなることを知《し》らば身《み》を持崩《もちくづ》すこともなくいと幸福《さいはい》の人《ひと》とぞならめ客人《きやくじん》よ能《よ》く靈魂《たましひ》のことを思《おも》ひて過失《あやまち》に蹈《おちい》ることのなからんやう力《つと》め玉《たま》へと懇《ねんごと》に語《かた》りきかせたり余友《よがとも》は此老人《このとしより》が昆布《こんぶ》を造《つく》るものと云《い》ひ又《また》靈魂《たましひ》の不滅《ふめつ》のことなど長々《なが/゛\》と説《と》き聞《き》かせたるを不思議《ふしぎ》に思《おも》ひ其《その》云《い》ふ所《ところ》は__キリスト__教徒《けうと》が常《つね》に云《い》ふ所《ところ》によく似《に》たり彼《か》れ必《かなら》ず__キリスト__教徒《けうと》にあらざりせば道《みち》をよく聞《きゝ》たるものなるべし問《と》ひ試《こゝろ》みばやと老婆《ばゝ》にむかひ汝《そなた》は__イエス__教《けう》をき〻しことありやと問《と》ふに老婆《ばゞ》は驚《おどを》きいないな彼《か》の教《をしへ》は危《あぶな》きものなり忘《わす》れても聞《き》きたまひぞと茲《こゝ》に於《おい》て信徒《しんと》はます/\奇異《ふしぎ》の思《おもひ》を爲《な》し彼《か》の口上《こうじやう》にて推量《おしはか》れば__イエス__教徒《けうと》にはあらざるべし不思議《ふしぎ》のこともあるものかなと老婆《ばゞ》に汝《そなた》は元來《ぐわんらい》何宗《なにしふ》なりやと問《と》ふに妾《わらは》の家《いへ》は代々《よゝ》眞宗《しんしふ》なれども妾《わらは》は決《けつ》して眞宗《しんしふ》を信《しん》ずるものにあらず然《され》ば汝《そなた》は罪《つみ》あることを知《し》り玉《たま》ふか然《しか》り妾《わらは》は罪深《つみふか》きを知《し》るなり殊《こと》に婦人《ふじん》は男子《をとこ》とちがひ罪深《つみふか》きものを聞《き》く幼《いとけな》きより我身《わがみ》に罪《つみ》あるを知《し》りて内心《こゝろのうち》兎角《とかく》穩《をだやか》ならず如何《いか》にしてか此罪《このつみ》を消さばやと千々《ちゞ》に心《こゝろ》は碎《くだけ》ども松吹《まつふ》く風《かぜ》と磯《いそ》によする浪《なみ》の音《おと》のみ友《とも》とせる鄙《ひな》にしあれば我《わが》ために嚮導《みちしるべ》する人《ひと》もなく已《やむ》を得《え》ざれば時々《とき/゛\》に南無阿彌陀佛《なむあみだぶの》を稱《となふ》れとも凡《およそ》南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》と云《い》ふものは數多《かずおほ》しとて益《ゑき》あるものにあらず我國《わがくに》に佛名《ぶつめう》を稱《となへ》るものは多《おほ》く又《また》其職《そのしよく》にある僧侶《そう》の如《ごと》きも少《すく》なからねど眞誠《まこと》の南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》を稱《となふ》るものは一人《ひとり》としてあることなし唯《たゞ》我國《わがくに》に眞誠《まこと》に之《これ》を稱《となへ》るもの〻|二人《ふたり》あるを知《し》るのみ凡《およそ》佛名《ぶつめう》を稱《とな》へんとならば夜中《よる》人《ひと》なき深山《みやま》に入《い》り世《よ》に執着《しうちやく》の念《ねん》を去《さ》り二三|時間《じかん》も默然《もくねん》して而《しか》して初《はじ》めて稱《とな》ふべし去《さ》りとて多《おほ》く稱《とな》ふべきにあらず眞誠《まこと》のものは唯一回《たゞいちど》にしてこと足《たり》なん妾《わらは》も眞誠《まこと》に稱《となへ》んと思《おも》へどいまだ稱《とな》へ得《え》ずと余友《わがとも》はきゝてます/\訝《いぶか》り然《さら》ば其《その》南無阿彌陀佛《なむあみだぶつ》を眞誠《まこと》に稱《とな》ふれば夫《それ》にて罪《つみ》は赦《ゆる》さる〻かと問《と》へばいなとよ決《けつ》して然《しか》らず他《ほか》に求《もと》むべき術《すべ》なければ已《やむ》ことを得《え》ず稱《とな》へんと思《おも》ふのみと茲《こゝ》に於《おい》て余友《よがとも》は此老婆《このとしより》が救《すくひ》を求《もと》め安心《あんしん》を得《え》んとしていまだ得《え》ざるものなることを知り__キリスト__教《けう》を教《をし》ふべきは此時《このとき》なりと思《おも》ひたれば夫《それ》より昆布《こんぶ》を造《つく》る神《かみ》の性《せい》靈魂《たましひ》の不滅《ふめつ》より__キリスト__の贖罪《しよくざい》罪《つみ》を消《け》さるゝの術《すべ》など殘《のこ》るくまなく語《かた》りきかせ凡《およそ》三|時間《じかん》ほど話《はな》したるに老婆《ばゞ》は聞きつ〻|頻《しきり》に感《かん》じて膝《ひざ》の進《すゝ》むを覺《おぼ》えぬまでに或《あるひ》は悦《よろこ》び或《あるひ》はかなしみ或《あるひ》は笑《わら》ひ或《あるひ》はなき聞終《きゝをは》りて雀躍《こをどり》し且《また》云《い》ふやう妾《わらは》此地《このち》に來《きた》りしより久《ひさ》しき年《とし》を經《へ》たる甲斐《かひ》に多《おほく》の人《ひと》を宿《やど》せしかども未《いま》だ一度《いちど》も是《かく》の如《ごと》き良《よ》き客《きやく》を宿《やど》せしことなし時《とき》たま人《ひと》が語《かた》るをきくに__ヤソ__教《けう》は國《くに》に害《がい》あり人倫《ひとのみち》を亂《みだ》すとのみき〻たれば只管《ひたすら》眞實《まこと》と思《おも》ひしに彼《かれ》を此《これ》とは反對《うらかへ》にて今《いま》こそ__ヤソ__教《けう》の善良《よろし》き教《をしへ》なることを知《し》れり何故《なにゆゑ》に今《いま》まで之《これ》を知《しら》ざりしかと頻《しきり》に後悔《こうくわい》し又《また》悦《よろこ》びいで是《これ》よりは客人《きやくじん》の深《ふか》き好意《なさけ》に報《むく》いんと其場《そのば》をたちしが暫《しばら》くし祭文讀《さいもんよみ》を連來《つれきた》り辭《じ》するもきかず二|時間《じかん》ばかり語《かた》らせてきかせしが彼地《かのち》は物價《あたひ》の高直《かうじき》ゆゑに普通《なみ》の祭文讀《さいもんよみ》は一|時間《じかん》二|圓《ゑん》ぐらゐなり然《され》ば此老婆《このばゞ》は生命《いのち》の返禮《へんれい》に五|圓《ゑん》程《ほど》を費《ついや》したるなるべし余《よ》が友《とも》は神《かみ》の恩《めぐみ》によりて十分《じふぶん》に安息日《あんそくにち》を守《まも》り且《また》祈《いの》りし如《ごと》く適當《てきたう》なる友《とも》をたまひて獨旅《ひとりたび》の欝《うつ》を慰《なぐさ》めたまひしを感謝《かんしや》せりと云《い》ふ斯《かく》てあるべきならねば翌朝《よくあさ》出立《しゆつたつ》することに決《けつ》せしに老婆《ばゞ》は名殘《なごり》を惜《おし》み再《ふたゝ》び此地《このち》を過《よぎ》りたまはゞ是非《ぜひ》とも一二|夜《よ》止《とゞま》りて生命《いのち》の道《みち》を聞《き》かせてよと頼《たの》まれて立去《たちさ》りしは今《いま》より一年《いちねん》まへなるが今年《ことし》は再《ふたゝ》び彼地《かのち》に至《いた》れば尋《たづ》ねて見《み》んと語《かた》りたり 嗚呼《あゝ》此老婆《このばゞ》は何《なに》ものなるや昆布《こんぶ》を見《み》て神《かみ》を知《し》り又《また》靈魂《たましひ》の不滅《ふめつ》を知《し》る固《もと》より無學文盲《むがくもんもう》の老人《としより》なるに教《おし》へられずして自《みづ》から悟《さと》り聞《き》かずして自《おのづ》から知《し》る是《これ》其本心《そのほんしん》の働《はたらき》によるものにして凡《およ》そ人《ひと》たるもの皆《みな》此本心《このほんしん》あらざるなし然《しか》るを世《よ》の生計《くらし》又《また》淺薄《あさはか》の學問《がくもん》にさまたげられ自《みづ》から本心《ほんしん》をくらまして己《おの》れ神《かみ》を知《し》らざるのみならず人《ひと》をして神《かみ》を知《し》らざらしめんとし世《よ》をして魔界《まかい》に陷《おち》いらしめんとするものあり是《かく》の如《ごと》く本心《ほんしん》をくらますものは何《なん》ぞや罪《つみ》なり嗚呼《あゝ》罪《つみ》は恐《おそ》るべし  明治廿一年四月十七日印刷  明治廿一年四月廿三日出版      著作者兼發行者 [#地付き]三浦 徹 [#地付き]東京日本橋區蠣売町一丁目四番地寄留      印刷社 [#地付き]製紙分社 廣瀬安七 [#本文終わり] 底本:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/824465 [#1字下げ]三浦徹(1888)『昆布を造る神』. 入力:A-9 このテキストは、フロンティア学院図書館(https://arkfinn.github.io/frontier-library/)で作成されました。