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男色大鑑《なんしよくおふかゝみ》  本朝若風俗《ほんてうわかふうぞく》 第一卷 ##      目録《もくろく》 一 色《いろ》はふたつの物《もの》あらそひ      神代《かみよ》のはじめは衆道《しゆだう》の事      日本《につほん》に隱《かく》れもなき女嫌《をんなきら》ひの事      美道根元紀《びだうこんげき》口談《こうだん》の事 二 此道《このみち》にいろはにほへと      若道《じやくだう》の手本《てほん》書《かく》事      都《みやこ》の花《はな》より里《さと》の前髮《まへかみ》の事      情《なさけ》懸《かけ》し法師《ほうし》は行方《ゆきかた》しれぬ事 三 墻《かき》の中《うち》は松楓柳《まつかいでやなぎ》は腰付《こしつき》      思ひ入は見舞|帳《ちやう》にしる事      病中《びやうちう》の願書《ぐわんしよ》八幡《はちまん》に籠《こも》る事      惜《おし》きは角《かど》入ずに元服《げんぷく》の事 四 玉章《たまづさ》は鱸《すゞき》に通《かよ》はす      大|社《やしろ》は若道《じやくだう》もむすぶの神の事      三|年《とせ》の通《かよ》ひ姿聞人《すがたきくひと》泪《なみだ》の事      恨《うら》みは死《し》にざまに書置《かきおき》の事 五 墨繪《すみゑ》につらき劍菱《けんびし》の紋《もん》      くろ燒《やき》は命《いのち》をとる藥《くすり》の事      女筆《によひつ》も手《て》すじしるる事      忍《しの》び川は矢《や》さきに沈《しづ》む事 ##色《いろ》はふたつの物《もの》あらそひ 天照《あまてら》神代《かみよ》のはじめ。浮橋《うきはし》の河原《かはら》にすめる。尻引《しりひき》といへる。鳥《とり》のおしへて。衆道《しゆだう》にもとづき。日《ひ》の千麿《ちまろ》の尊《みこと》を。愛《あい》したまへり。萬《よろづ》の虫迄《むしまで》も。若契《しやつけい》の形《かたち》をあらはすがゆへに。日本《につほん》を蜻蛉國《せいれいこく》ともいへり。素戔嗚尊《そさのをのみこと》老《おい》のことかきに。稻田姫《いなだひめ》にたはふれ。それより世に姦《かしまし》き赤子《あかご》の聲《こゑ》。取揚《とりあげ》ばゝ仲人《なかふと》目鼻《かか》も出來《いでき》。娌入《よめいり》長持《ながもち》葛籠《つゞら》。二|親《おや》のやかひとなれる。男色《なんしよく》ほど美《び》なるもてあそびはなきに。今時《いまどき》の人。此|妙《たへ》なる所をしらず。されば若道《じやくだう》のふかき事《こと》。倭漢《わかん》に其|類友《るゐゆう》あり。衞《えい》の靈公《れいこう》は。弥子瑕《やしか》に命《いのち》をまかせ。高祖《かうそ》は籍孺《せきじゆ》に心をつくし。武帝《ぶてい》は李延年《りえんねん》に枕《まくら》を定《さだ》めたまふとなり。我朝《わがてう》にも。むかし男《おとこ》。伊勢《いせ》が弟《おとゝ》の大門《たいもん》の中將《ちうじやう》と。五とせにあまりての念友《ねんゆう》。此年月のうちに。花を見ぬ春《はる》。秋《あき》の月をわすれ。わりなき情《なさけ》には雪《ゆき》をかづき。嵐《あらし》を袂《たもと》に入。氷《こほり》の橋《はし》をわたり。とがめる犬《いぬ》に燒食《やきめし》をあたへ。穴門《あなもん》のきびしきに相鎰《あひかぎ》をこしらへ。闇《やみ》にも星《ほし》の林《はやし》をうらみ。螢《ほたる》のひかりをもにくみ。下部《しもべ》の涼《すゞ》み捨《すて》たる。腰掛《こしかけ》とやいふものに。足《あし》は蚊《か》の血《ち》に染《そめ》なし。是にもあかず。曙《あけぼの》をかなしみ。前髮《まへがみ》の風《かぜ》にかはらぎ。ばら/\鷄《とり》の別まに。ふらぬ雨かとの泪《なみだ》。すぐに硯《すゞり》にそゝぎ。筆《ふで》におもひをはこび。通臺集《つうだいしう》と名付《なづけ》て。此|事《こと》一|卷《まき》に殘《のこ》せしに。いかに是は見|捨《すて》。なんぞや。女の子とを物語《ものがたり》につくり。うゐかうむりせしも。奈良《なら》の都《みやこ》に。いかずの念者《ねんじや》を見かきり。若紫《わかむらさき》の帽子《ぼうし》。是ぞ野郎《やらう》の元祖《ぐわんそ》なるべし。なをうしろつき。陽桃《やうたう》の春《はる》をいためるよそほひ。垂柳《すいりう》の風をふくめるにひとし。毛嬙西施《まうしやうせいし》も耻《はぢ》ぬべし。なを男盛《おとこざかり》になつて。業平《なりひら》も根本《こんぽん》美少人《びせうにん》をすけるに。浮世《うきよ》に陰陽《いんやう》の神《かみ》などゝいふ事。草葉《くさは》のかげにて。さぞ口惜《くちお》しかるべし。又|吉田《よしだ》の兼好法師《けんかうほうし》。清少納言《せいせうなごん》が甥《をひ》の清若丸《きよわかまる》に。千度《ちたび》のかよはせ文《ふみ》は。人も見ゆるし。一|度《ど》の艶状《えんじやう》たのまれて書《かき》し。浮名《うきな》の末《すゑ》の世迄《よまで》も。やむ事《こと》なし。人|皆《みな》おそるべきは此|道《みち》なり。我《われ》生《しやう》を請《うけ》て。其|時《とき》今の智慧《ちゑ》のあらば。女の乳《ちゝ》は呑《のむ》まじ。摺粉《すりこ》あま物《もの》にて。人間《にんげん》そだちたる。ためしあまたなり。菟角《とかく》は男《おとこ》世帶《せたい》にして。住所《すみところ》を武藏《むさし》の江府《へふ》に極《きは》めて。淺草《あさくさ》のかた陰《かげ》にかり地《ち》をして。世《よ》の愁喜《しうき》。人の治乱《ちらん》もかまはず。不斷《ふだん》は門《もん》をとぢて。朝飯前《あさめしまへ》に。若道《じやくだう》根元記《こんげんき》の口談《こうだん》。見聞覺知《けんもんかくち》の四つの二の年《とし》まで。諸國《しよこく》をたづね。一切衆道《いつさいしゆだう》のありがたき事。殘《のこ》らず。書集《かきあつ》め。男女《なんによ》のわかちを沙汰《さた》する 十一二の娘《むすめ》はや前後《まへうしろ》見ると 同《おな》じ年比《としごろ》の少人《せうじん》齒《は》を琢《みがい》て居《ゐる》と 女郎《じよらう》にふられての床《とこ》と 痔《ぢ》のある歌舞妃子《かぶきこ》としめやかにかたると 氣《き》のかたわつらふ女房《にふばう》あつかふて居《ゐ》ると 切〻《せつ/\》無心《むしん》いはるゝ若衆《わかしゆ》持《もち》て居《ゐ》ると 子《こ》ども買《かふ》てあそぶ座敷《ざしき》へ水神鳴《みづかみなり》の落《おつ》ると けいせいとしまぬうちに死《し》んでくだされいと剃刀《かみそり》を出《いだ》すと 博奕《ばくち》にまけてのあくる日|十五《かこひ》ぐるひすると さがり口の買置《かいおき》して飛子を咄《はな》すと 入聟《いりむこ》して宵《よひ》から寢《ね》て次第《しだい》にやせると 主《しう》の子《こ》を念比《ねんごろ》して晝《ひる》ばかり㒵《かほ》見ると 六十あまりの後家《ごけ》がくれなゐのきやふして小判《こばん》讀《よみ》て居ると 角前髮《すみまへがみ》の木綿帶《もめんおび》してむかしの誓紙《せいし》を見てゐると 嶋原《しまばら》通《がよ》ひすぎて家質《いゑじち》の流《なが》るると 道頓堀《だうとんぼり》ぐるひ過《すぎ》て御城米《ごじやうまい》かりて切《きり》の近《ちか》づくと 百|物語《ものがたり》に若衆《わかしゆ》の化《ばけ》もの出ると さつた女房《にふばう》のねだりにもどると 樂屋がへりの編笠《あみがさ》のぞくと 道中《だうちう》にて禿《かぶろ》にお位《くらゐ》をとふと 高野坊主《かうやばうず》の小性《こしやう》になると隱居《いんきよ》の手懸者《てかけもの》になると 竈拂《かまはら》ひ神子男《みこおとこ》ばかりの内《うち》を心|懸《かく》ると 伽羅《きやら》の油《あぶら》を賣子《うるこ》が中間《ちうげん》部《べ》屋をいやがると 齒黒《はぐろ》付《つく》る女の口もとと 若|衆《しゆ》の髭《ひげ》ぬく手《て》もとゝ しらぬ揚《あけ》屋の門《かど》で雨《あま》やどりをすると 子《こ》共|宿《やど》から闇《やみ》に挑灯《ちやうちん》かさぬと 風呂《ふろ》屋|者《もの》と知音《ちいん》すると 三十日|切《ぎり》の若衆《わかしゆ》しのぶと 遊女《ゆうじよ》を請出《うけだ》すと 野良《やらう》に家買《いゑかふ》てやると よし原《はら》の太皷《たいこ》に羽織《はおり》かすと 川原《かはら》のこんがうにこまかね預《あづ》けて置《おく》と 新町《しんまち》へ盆前《ぼんまへ》行てよねと 念比《ねんごろ》になると 芝居《しばゐ》の㒵《かほ》見せ前《まへ》に子共の情《なさけ》ふかふなると 茶屋《ちやや》女の菓子《くわし》喰《くふ》と 香具《かうぐ》の若衆《わかしゆ》の秤目《はかりめ》せゝると 川御座《かはござ》に。太夫子のうしろ髮《がみ》見ゆると 花見かへりの女中《じよちう》乘物《のりもの》に鹿子《かのこ》のつま先《さき》見ゆると 上下《かみしも》を着《き》たる少人《せうじん》の小者《こもの》に書物《しよもつ》もたせて行と 大名御物《だいみやうごもつ》の大|書院《しよゐん》に座《ざ》したと 築地《ついぢ》女郎のしどけなき立|姿《すがた》と 脇《わき》ふさぎたる若衆《わかしゆ》に状《じやう》をつけて笑《わら》わるゝと 大《おほ》ふり袖《そで》の女におもひ懸《かけ》られ尻目《しりめ》で見らるゝとはいづれか。ふたつどりには。其女|美人《びじん》にして。心立《こゝろだて》よくて。其|若衆《わかしゆ》なるほど いや風《ふう》にして。鼻《はな》そげにても。ひとつ口にて。女|道《だう》衆道《しゆだう》を申事のもつたいなし。惣して女の心さしを。たとへていはゞ。花《はな》は咲《さき》ながら。藤《ふぢ》づるのねじれたるがごとし。若衆《わかしゆ》は針《はり》ありながら。初梅《はつむめ》にひとしく。えならぬ匂《にほ》ひふかし。爰《こゝ》をもつて。おもひわくれば。女《じよ》は捨《すて》。男《なん》にかたむくべし。此|道《みち》のあさからぬ所を。あまねく弘法大師《こうぼうだいし》のひろめたまはぬは。人|種《だね》を惜《おし》みて。末世《まつせ》の衆道《しゆだう》を見|通《とほ》したまへり。是さかんの時《とき》は命《いのち》を捨《すつ》べし。なんぞ好色《かうしよく》一代|男《おとこ》とて。多《おほ》くの金銀諸《きん/゛\もろ/\》の女についやしぬ。只《たゞ》遊興《ゆうけう》は男色《なんしよく》ぞかし。さま/\の姿《すがた》をうつし。此大|鑑《かゞみ》に書《かき》もらさじと。難波《なには》淺江《あさえ》の藻塩草《もしほぐさ》。片葉《かたは》の芦《あし》のかた耳《みゝ》に。これみな聞《きゝ》ながしの世《よ》や ##此|道《みち》に。いろはにほへと 角屋敷《かどやしき》ばかり六ヶ|所《しよ》。大|名借《みやうがし》の手形《てがた》迄。腹替《はらがはり》の弟《おとゝ》に讓《ゆづ》り。都《みやこ》は地車《ぢぐるま》のひゞき。天秤《てんびん》の音《おと》さへ物のかしましさに。朝夕《あさゆふ》黒木《くろぎ》賣《うる》も女の聲《こゑ》に聞《きゝ》あき。賀茂《かも》の山|陰《かげ》に北《きた》を見おろし。綾椙《あやすぎ》の村《むら》立|東《ひがし》に洞《ほら》の蔦紅葉《つたもみぢ》。西《にし》に自然《しぜん》と岩組《いはぐみ》あつてまかせ水の清《きよ》く。南《みなみ》は松《まつ》高《たか》く。夜《よる》は葉越《はごし》の月さぞとおもはれ。爰《こゝ》に見|立《たて》て軒《のき》は笹房《さゝぶさ》をむすび。心に懸《かゝ》る雲《くも》もなけれど。折ふしの時雨《しぐれ》にぬれの道《みち》は。忘《わす》れてわすれず。今《いま》でも美少人《びせうじん》はとへかし我枕《わがまくら》が淋《さび》しきは兼《かね》て合點《がつてん》の身にも。寢覺《ねざめ》の千鳥《ちどり》物かなしく。川音《かはおと》の耳《みゝ》にせはしく。老《をひ》の浪《なみ》立|影《かけ》は恥《はづ》かしと讀《よま》れし。石《いし》川|丈山《ぢやうさん》入道の住《すめ》るも此|奧《おく》よりの流《なが》れなり。岸根《きしね》なめらかに野飼《のがひ》の牛《うし》の殘《のこ》せし。万《よろづ》の草《くさ》迄も枯果《かれはて》。雪《ゆき》におのづと道絶《みちたえ》て。豆腐醤油《とうふしやうゆ》にもことをかくのみ。組戸《くみと》さし籠《こめ》。川原《かはら》の㒵《かほ》見せ芝居《しばゐ》も今時《いまどき》なん。入|替《かは》る若衆方《わかしゆがた》を思ひやるばかりに。其|程《ほど》を過《すぎ》なを冬《ふゆ》めきて。人の足音《あしおと》もはやく。山|草《ぐさ》被《かづ》きし者《もの》の聲《こゑ》餅突《もちつき》書出《かきだ》し。今の徳《とく》はそれをしらずに。万事《ばんじ》は闇《やみ》の夜《よ》もあけ。春知《はるしら》せ鳥《とり》の囀《さへづ》りに。南枝《なんし》はじめて障子《しやうじ》を開《ひら》き。霞《かすみ》のうちに匂《にほ》ひの油《あぶら》。自鬢《じびん》になでつけの男《おとこ》つき。誰《たれ》にか見すべし。春深《はるふか》く山|淺《あさ》く無用《むよう》の櫻咲《さくらさき》て。人の娌子《よめこ》後家《ごけ》らしき姿《すがた》まじりに。清水仁和寺《きよみづにんわじ》の花は見たらずや。此|片陰《かたかげ》に來《き》て。青林《せいりん》を酒《さけ》にしたし。それさへ惡《にく》きに。色《いろ》ある女を塩《しほお》もらいにおこす。ないとてやらず。其|後《のち》箸借《はしかり》にくる。つらは見て返事《へんじ》もせず。やう/\西《にち》日になつて。樽《たる》は口《くち》せずこかし、水風呂《すゐふろ》の湯《ゆ》も捨《すて》。久三も取《とり》まはしかしこく仕舞《しま》へば。女はさはがしく。檰足袋《もめんたび》をぬぎて袂《たもと》に入《いれ》。銀《ぎん》の笄《かうがい》を楊枝《やうじ》にさし替《かへ》。櫛《くし》も鼻紙袋《はなかみぶくろ》におさめ。紅《もみ》の脚布《きやふ》を内懷《うちふところ》にまくりあげ。上着《うはぎ》の衣裏《えり》をかなしみ。首筋《くびすじ》を取のけ。木《き》の枝《えだ》に懸置《かけおき》し木地笠《きぢがさ》をとり/\に。いそぐや暮《くれ》の面影《おもかけ》。今朝《けさ》とは見ぐるしく。町の女房《にふばう》のよろしからぬ事《こと》ばかり目《め》にかかりぬ。歸《かへ》るさに生垣《いけがき》よりのぞき。肴懸《さかながけ》を見て。出家《しゆつけ》でもないが見ぬ㒵《かほ》をしをると。聲高《こゑだか》にしかる。そのはづ也。それがし女|好《この》めば。月|鉾《ほこ》の町《てう》に歴〻《れき/\》の入縁《いりへ》あれどもかつて取《とり》あはず。それのみならず。修學寺《しゆがくじ》の御幸《ごかう》に。御所《ごしよ》乘物《のりもの》につき/゛\の。紫《むらさき》に四つ紋《もん》の後帶《うしろおび》。玉《たま》むすびの黒髮《くろかみ》の見ゆるもうたてく。北《きた》の方《かた》の窓《まど》ぬりふさぎて。日影草《ひかけぐさ》のあるに甲斐《かひ》なき身も。哥《うた》と讀《よみ》とあつて。里《さと》ちかき童子經《どうじきやう》をおしへ。手習屋《てならひや》の一|道《だう》と名《な》によばれて。年月《ねんげつ》をおくりぬ。折《おり》ふしは弥生中《やよひなか》の四日の空《そら》。朧《おぼろ》けなる暮《くれ》かたより。夜習《よならひ》の心|懸《がけ》は明日《あす》のさらへ書《がき》を互《たがひ》に耻《はぢ》ぬ。文字《もじ》を落《おと》せば鯨《くじら》ざしの數《かず》を當《あて》られ。又《また》は机《つくえ》を屓《おは》せ門《もん》ぜんをまはらす事もおかし。其日の當番《たうばん》は下|賀茂《がも》の地侍《ちざふらひ》。篠岡《しのおか》大吉九|歳《さい》。小野新之助|同年《どうねん》なりしが。此|兩人《りやうにん》皆《みな》より先《さき》に來《きた》るに。道橋《みちはし》のたよはく暮《くれ》に渡《わた》るも浮雲《あぶなし》と。大吉|高《たか》からげして新之助を屓《おい》て川を越《こし》。いたはる風情《ふぜい》殊《こと》に筧《かけひ》の流《なが》れも手|桶《おけ》にはこびて。茶《ちや》の間《ま》に燒付《たきつけ》。落葉《おちば》の煙《けふり》をいとはず。座敷《ざしき》はくまでも独《ひとり》はたらき。相番《あひばん》の人には万《よろづ》をゆるす。新之助は懷中鏡見《くわいちうかゞみみ》て。前髮《まへがみ》のおくれなで付《つけ》。身をたしなむ樣子《やうす》こざかしくおもはれ。空寝《そらね》入をして見るに大吉が手をしめて。日外《いつぞや》の所《ところ》は今《いま》に痛《いたみ》ますかといふ。是《これ》程の事はと肩《かた》をぬげば。草紙錐封《さうしぎりふう》じ小刀《こがたな》にて。若道《じやくだう》の念約《ねんやく》の印紫《しるしむらさき》立て。少《すこし》おもはれたるを思へば。我《われ》ゆへの御|身《み》の疵《きず》と。泪《なみだ》四つの袖《そで》をしたし。悔《くやむ》を見て。大唐《たいたう》の鄭《てい》の莊公《そうこう》は。御|年《とし》もまだしき時《とき》。子都《しと》を愛《あい》し給ひて。玉《たま》の袂《たもと》より御|手《て》を取《とり》かはし。細行《さいぎやう》の道車《だうしや》を留《とゞ》めたまふ粧《よそほ》ひも。かくやと思ひ斗《はか》る。魏《ぎ》の哀王《あいわう》は。竜陽君《りうようくん》を念友《ねんゆふ》に定《さだ》まりて後。女乱《じよらん》おさまり。國中衆道《こくちうしゆだう》に諒《まこと》あるをしるとかや。我此道《われこのみち》を深好《しんしよく》するによつて。自然《しぜん》と若年《じやくねん》にわきまへて。淺《あさ》からぬ心さしすゑ迄見|屆《とゞけ》るに。連理面〻鳥《れんりめん/\てう》のかたらひ。愚《おろか》に頭《かしら》をならべ。暫時《ざんじ》も離《はな》るる事なし。なをさかんになる時《とき》は。二人か美形《びけい》にひかれて。僧俗男女《そうぞくなんによ》にかぎらず。千愁《せんしう》百|病《びやう》となつて。戀《こが》れ死《しに》其|數《かず》しらず。その比《ころ》鹿《しゝ》が谷《たに》の奧《おく》に念仏《ねんぶつ》の行者住《ぎやうしやすみ》たまへり。八十|餘歳《よさい》をたもち今《いま》となつて。彼兩若《かのりやうじやく》の衆《しゆ》さかりを見《み》て。後世《ごせ》を取はづし前生《ぜんしやう》を忘《わす》れたまふとは。有人の語《かた》りければ。いづれに御心の有もしらずとて。兩《りやう》人共に彼草庵《かのそうあん》に尋《たづ》ね入に。あんのごとく花《はな》も紅葉《もみぢ》も捨《すて》たははす。春秋《はるあき》よりの思ひをはらさせ給へり。殘《のこ》る言葉《ことば》もあれば重《かさね》て音信《おとづれ》けるに。はや御|出家《しゆつけ》はましまさず。世を思ひ葉《は》の二またの竹《たけ》に。きのふの日|付《つけ》にて書《かき》おかれしは。旅衣《たびごろも》なみたに染《そむ》るふた心。思ひ切《きる》よの竹《たけ》の葉隱《はがく》れ。此|老僧《らうそう》は何《なに》をか耻《はぢ》たまへり。すぎにしや眞雅僧正《しんがそうじやう》の事も。思ひ出るときはの山の岩《いは》つゝじ。いはねばこそあれ戀しき物と。その竹《たけ》を横笛《よこぶえ》二くわんに細工《さいく》のゑものにおこさせ。寒夜《かんや》の友吹《ともぶき》すれば天人《てんじん》も雲《くも》より睨《のぞ》き。無官《むくわん》の太夫もあらはれ。今《いま》の世《よ》の庄兵衞など。息《いき》の出所《しゆつしよ》を感《かん》ずる。さればはかなきは人の身。詩人《しじん》は沈夢《ちんむ》夕日と作《つく》れり。歌人《かじん》はかりのやどりの曙《あけぼの》ともよめり。あゝ現《うつゝ》か[#外字:u2c456.svg]《まぼろ》しか。新之助せめて霜《しも》ならば。晝消《ひるきゆ》きに。夜《よ》のあくるをもまたず七つの鐘《かね》の鳴時《なるとき》。目|覺《さま》しい目をふさぎ。十四|歳《さい》にして。末期《まつご》に此川水を殘《のこ》して。深《ふか》くんげかはすは大吉なり。今《いま》は聞《きく》人もなしと。笛竹《ふえたけ》をうちくだき。これもけふりとなし。その身《み》は常精進《じやうしやうじん》となつて。岩倉《いはくら》山にとり籠《こも》り。手《て》づから剃刀《かみそり》にて。惜《おし》や黒髮《くろかみ》を ##垣《かき》の中《うち》は松楓《まつかえで》柳《やなぎ》は腰付《こしつき》 世界《せかい》一|切《さい》の男|美人《びじん》なり。女に美人《びじん》稀《まれ》なりと。安部《あべ》の晴明《せいめい》が傳《つた》へし。子細《しさい》は女の面《おもて》は。白粉《はくふん》に埋《うづ》むのみ。唇《くちびる》に紅花齒《こうくわは》を染《そめ》なし。額《ひたい》を作《つく》り眉《まゆ》の置墨《おきずみ》。自然《しぜん》の形《かたち》にはあらず。ひとつは|衣[#外字:u2b30f.svg]《いしやう》好《このみ》に人を誑《たぶら》かす事ぞかし。絹帷子《きぬかたびら》の袖《そで》涼《すゞ》しき。風《かぜ》の森《もり》近《ちか》き里《さと》に身《み》を隱《かく》し。生國《しやうこく》の大隅《あふずみ》にも長浪人《ながらうじん》は住《すみ》うし。榮花《えいぐわ》はむかしになりぬ。橘《たちばな》十左衞門とて武道《ぶだう》すぐれての男《おとこ》。古主《こしう》にも惜《おし》みたまへども。家老職《からうしよく》の者《もの》との口|論《ろん》。是非《ぜひ》なく城下《じやうか》は闇《やみ》に立のき。時節《じせつ》の朝《あさ》日を待《まち》ぬ。女は山城《やましろ》の國《くに》栗栖《くるす》の小野《をの》の奧《おく》そだちなりしが。年久《としひさ》しく一|条《でう》村雲《むらくも》の御所《ごしよ》に宮《みや》づかひして。親里《おやざと》の碓《からうす》の音《おと》も。今《いま》は玉琴《たまごと》に聞替《きゝかへ》。同し油火《あぶらび》も松明《しやうめい》進《すゝ》むると云なし。賤《しづ》の家《いへ》の糠味噌《ぬかみそ》迄も。酒塵《さゝぢん》と言葉《ことば》を改《あらた》め。物毎《ものごと》やさしくよきを見|習《なら》ひ。風義《ふうぎ》もそれにつれて。都㒵《みやこがほ》になりぬ。十左衞門世にある時《とき》この御所《ごしよ》に筋目《すしめ》あつて。此女廿二の冬《ふゆ》。はじめての豕《いのこ》の日|乞請《こひうけ》。夫妻《ふさい》にして。此|中《なか》に一|子《し》常《つね》ならぬ生《うま》れつき。母自慢《はゝじまん》もまことにうるはしく。名《な》をさへ玉之助とて。今《いま》は十五|歳《さい》になりぬ。面向不背《めんこうふはい》の髮《かみ》の結振《ゆひぶり》。龍宮《りうぐう》よりの見|入《いれ》も有べし。此|美形《びけい》の田舎《ゐなか》には惜《おし》やと。見る人の申せし。今《いま》の東武《とうぶ》に身體望《しんたいのぞみ》を懸《かけ》。家《いゑ》ひさしき若黨《わかたう》金澤《かなざは》角《かく》兵衞|積年《せきねん》五十にあまれば。物のさばき慥《たしか》なるもの付《つけ》て。旅はじめの曙《あけぼの》いそぐに。名殘《なごり》の姿《すがた》を見|送《おく》り。かまへて武士《ぶし》の心|懸《がけ》は。命《いのち》をおしむ事んかれと。此一|言《ごん》より外《ほか》はなし。母親《はゝおや》は角兵衞が近《ちか》くによりて。しばらく囁《さゝや》き別《わか》れさまに。中《なか》にも其事をよと仰《おほせ》られける。つき/゛\の者《もの》ども何《なに》の事かとおもふに。玉之助角兵衞をまねき。只今《たゞいま》母《はゝ》人の申されしは。我《われ》に執心《しうしん》の人|頼《たの》むとも。文《ふみ》なとの謀《なかだち》つかふまつるなと仰《おほせ》けるか。誰《たれ》人にてもこがれての状《じやう》たまはるを。蟠《わだかま》りて屆《とゞ》けずば汝《なんぢ》戀《こい》しらすなり。我《われ》たま/\人界《じんがい》に生《しやう》をうけて。然《しか》も又世に惡《にく》まれぬ程《ほど》の形《かたち》にして。其|情《なさけ》しらぬも口惜《くちをし》し。大唐《たいたう》の幽信《ゆうしん》が揚州《やうじう》にて。無情少年《むじやうせうねん》と。宗玢《そうぶん》に作《つく》られしも。強顏《つれなき》心からなりと語《かた》りたまへば。角兵衞も分別《ふんべつ》して。いづれおふくろ樣《さま》のやうに御|氣《き》づかひあそはしては。浮世《うきよ》に若道《じやくだう》は絶《たへ》申べしと。大|笑《わら》ひして行に。夏海《なつうみ》の靜《しづか》に室津《むろづ》よりあがりて。須广《すま》の關《せき》といふも戀《こひ》せばつらかるべし。相坂《あふさか》の關《せき》と忍《しの》ぶ身ならはと思ひやられ。勸修寺《くわんじゆじ》のあたりより北《きた》を見渡《みわた》し。母《はゝ》の古里《ふるさと》もあの山|陰《かげ》ぞかし。今《いま》は所縁《ゆかり》の人もなくて問《と》はずうち過《すぎ》。梅《むめ》の木の茶屋《ちやや》とて。和中散《わちうさん》の賣藥《うりぐすり》あり。汗《あせ》をしのぐ冷水《ひやみづ》うれしく。江戸《えど》より御|迎《むかい》の男《おとこ》爰《こゝ》に出|合《あひ》て。御|奉公《ほうこう》のあらましを申せば。心よくて水無月《みなづき》はじめつかたにつきて。間《ま》もなく御|目見濟《めみへすみ》て。會津《あいづ》に御|供《とも》申てくだりぬ。心さし人に越《こえ》おのづと御前《ごぜん》よろしく。國中《こくちう》にありし少人《せうじん》の花は。皆《みな》入日の朝㒵《あさがほ》となりぬ。或暮《あるくれ》風|絶《たへ》て。鞠垣《まりがき》の柳楓《やなぎかいで》もうごかず。岩倉主人《いはくらもんど》。山田|勝《しよう》七。横《よこ》井|隼人《はやと》。玉之助いづれも色《いろ》ある蹴《け》出し。御前《ごぜん》の御|機嫌《きげん》此|時《とき》とまるべき所。玉之助|手前《てまへ》にて落《おつ》る事|度《たび》/\なり。日比は家中《かちう》一|番《ばん》の上手。飛鳥井《あすかゐ》の家《いへ》にも生《むま》るべき人と。沙汰《さた》いたせしにと見るうちに。俄《にはか》に眼《まなこ》ざし替《かは》り。身《み》にふるひ手足青《てあしあを》ざめて。|[#外字:u2b30f.svg]束《しやうぞく》ぬぎもあへず。沓音絶《くつおとたへ》て。はや息《いき》の通《かよ》ひもなかり。をの/\おどろき水《みづ》いそぎ藥《くすり》をあたへ。正氣《しやうき》の時《とき》屋敷《やしき》に送《おく》りて。色《いろ》/\醫術《いじゆつ》をつくし給へども更《さら》に甲斐《かひ》なく。次第《しだい》に浮世《うきよ》の事|極《きはま》りぬ。此一人のなげきに世間《せけん》の鳴《なり》をやめける。爰《こゝ》に笹村《さゝむら》千左衞門と申て。御|領境《れうざかい》の御|番所《ばんどころ》あづかりて。御|城下《じやうか》の人は見しらぬ程の。すゑの役《やく》人なりしが。玉之助をあこがれ明暮《あけくれ》おもふに便《たより》なく。いつぞは書通《しよつう》に心を御しらせ申べしと。おもひ込《こめ》しうちにかゝる仕合《しあはせ》。御|命《いのち》にさはる事あらば。中/\世には住《すむ》まじく思ひ定《さだ》め。玉之助|玄關《げんくわん》迄。諸人《しよにん》の見舞と同しう帳《ちやう》に付《つき》て歸《かへ》り。又|晝機嫌《ひるきげん》をうかゞひ。夜《よ》に入て御|氣色《きしよく》を尋《たづ》ね日に三|度《ど》づゝ半年《はんえん》あまり勤《つと》めけるに。あやうき露命《ろめい》まぬかれ。塵汚《ぢんゑ》を濯《そゝ》ぎ。|[#外字:u2c6be.svg]《さかやき》をあらため。御前《ごぜん》の御|礼《れい》をはじめて仕舞《しまい》。年寄中《としよりぢう》殘《のこ》らずまはりて。私宅《したく》にかへり。角《かく》兵衞に見|舞帳《まいちやう》を取《とり》よせ内見《ないけん》するに。笹村《さゝむら》千左衞門と申|書付《かきつけ》。病氣《びやうき》そも/\より此かた。毎《まい》日三|度《ど》づゝの見舞。是はいかなる御人ぞとたつね給へ共。誰《たれ》が存知《ぞんじ》たる者《もの》もなし。御|家《いへ》に筋目《すじめ》もあつて御入候やうに。いづれも存候は。御|氣分《きぶん》の御事しみ/\と樣子《ようす》をたづね。よきと申せはよろこび。あしきと語《かた》れば忽《たちまち》に顏色《がんしよく》かはり。常《つね》の人とは各別《かくべつ》のなげき。相《あい》見へ申のよし御物語申せば。いまだ近付《ちかづき》にさへならぬ先《さき》に。頼母子《たのもし》き御かたと斗《ばかり》云やみて。千左衞門|屋敷《やしき》ははるかなる所|尋《たづ》ね。此|程《ほど》の御|礼《れい》に御|門前《もんぜん》迄と申入れば。かけ出|是《こ》は有難《ありがた》き仕合《しあはせ》。かゝる野末《のずゑ》迄の御|初足《しよそく》。またもや袖風《そでかぜ》の。尾花《をばな》もさはかしき此|夕《ゆうべ》。只《たゞ》御歸|宅《たく》と申せば。世は稻妻《いなづま》の暮《くれ》またず。消《きゆ》る身のかさねては待《また》れじ。すこし御|咄《はなし》申事心にやるせもなし。先《まづ》それへと書院《しよゐん》に通《とを》り。二人より外《ほか》には松《まつ》ちかき端居《はしゐ》して。我等《われら》が胸《むね》の中《うち》あくる所《ところ》は爰《こゝ》なり。此|程《ほど》の御心づかひ思ひ合《あはせ》に。近比《ちかごろ》卒爾《そつじ》ながら。數《かず》ならねども我《われ》に。若《もし》も御|執心《しうしん》あらばけふより身をまかせんために。忍《しの》びて是にと語《かた》る。千左衞門|赤面《せきめん》の泪《なみだ》折《をり》ふしの紅葉《もみぢ》に時雨《しぐれ》あらそひ。後《のち》は下《した》心のあらはれ。菟角《とかく》言葉《ことば》では申がたし。正《しやう》八|幡《まん》の内殿《ないでん》に。所存《しよぞん》を込置《こめおく》の由《よし》申せば。すぐに參詣《さんけい》して神主《かんぬし》右京《うきやう》に子細《しさい》をきけば。御|病《びやう》のためとて日參《につさん》。願状《ぐわんじやう》の箱《はこ》納《おさ》め置《をか》れけると申。それをと開《ひら》き見るに。貞宗《さだむね》の守脇指《まもりわきざし》に一|通《つう》筆《ふで》を盡《つく》し。玉之助身の上《うへ》をいのる。さては不|定《ぢやう》の命《いのち》。此|願力《ぐわんりき》にてのがれける。いよ/\見|捨《すて》がたくと。念友《ねんゆう》するにはやもれ聞《きこ》えて。御|仕置《しおき》の役人《やくにん》改《あらた》めて。兩方《りやうはう》一|度《ど》に閉門《へいもん》。はじめより死《しに》身に定《さだ》めければ。更《さら》になげかず。かゝる時《とき》の便《たより》とて。状文《じやうふみ》の通《かよ》ひも。片陰《かたかげ》に忍《しの》び道《みち》を付《つけ》て。年月《としつき》あまりかくありしが。今《いま》は世にあき果《はて》申せば。三月九日に切腹《せつぷく》仰せ付られ候はゝ。有難《ありがた》かるべしとの訴状《そじやう》さしあげ。其日を待《まち》けるに。横目《よこめ》まいつて。御|意《い》申|渡《わた》して。何《なに》の事もなく。元腹《げんぷく》を仰《おほ》せ付《つけ》られ。千左衞門も別《べつ》の事なく御ゆるされける。此|上《うへ》はと互《たがひ》に申|合《あは》せて。二十五|歳《さい》になる迄は。向後音信不通《きやうこうゐんしんふつう》とかため。㒵《かほ》見|合《あは》せても詞《ことば》も懸《かけ》ず。此御|恩《おん》をわすれず御奉公《ごほうこう》を勤《つと》めけると也 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