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武家義理物語 井原西鶴 和田萬吉校注 # はしがき  本書は貞享四年著者四十六歳の時の著作である。彼が武家を題にして作した「武道傳來記」以下の本で、本書は最もよく武士氣質を描いて居ると評せられる。戀愛物乃至町人物に比して彼獨特の潑溂奇警なる筆致は遺憾ながら之を本書に見出し得ぬが、その簡淨澹泊の中にも彼の文才の凡ならざるを味ふに足る。  著者が武士道の領解に幾分精到を闕く所あるは勿論ながら、元祿俗衆の立場からの武家氣質の觀察は充分に本書に代表されて居る。書中二十餘篇の小話は當時の巷談街説に基いたもので、自餘の諸作に比べては事實の描寫を主として敢て潤色等を施すに念の無かつたものである。中にも卷二、卷二節の御堂前復讐の如きは、殆ど全く實事を直寫したものの如く、後世詞人の爲に幾多戲曲稗官の題材を供給して居る。其他の諸篇も人を待つて大做される性質のもののやうに窺はれる。    昭和三年夏日 [#地付き]校訂者識す それ人間《にんげん》の一|心万人《しんばんにん》ともに變《かは》れる事なし。長劔《ちやうけん》させば武士《ぶし》。烏帽子《ゑぼし》をかづけば神主《かんぬし》。黒衣《こくへ》を着《ちやく》すれば出家《しゆつけ》。鍬《くは》を握《にぎ》れば百姓《ひやくしよう》。手斧《てをの》つかひて職人《しよくにん》。十露盤《そろばん》をきて商人《あきうと》をあらはせり。其家業面々《そのかげうめん/\》一大事をしるべし。弓馬《きうば》は侍《さふらひ》の役目《やくめ》たり。自然《しぜん》のために。知行《ちぎやう》をあたへ置《をか》れし主命《しゆめい》を忘《わす》れ。時《とき》の喧嘩《けんくは》。口論《こうろん》自分《じぶん》の事に一|命《めい》を捨《す》つるは。まことある武《ぶ》の道《みち》にはあらず義理に身を果《はた》せるは。至極《しごく》の所《ところ》古今《ここん》その物《もの》がたりを聞《きゝ》つたへて。其類《そのるい》を是《こゝ》に集《あつむ》る物《もの》ならし。   貞享五年戊辰年樓月吉祥日 [#地付き]鶴永 [#地付き]松壽 # 武家義理物語《ぶけぎりものかたり》 卷一 ##       目録《もくろく》 一 我《わが》物ゆへに裸《はだか》川        一文|惜《をし》みの百しらず        夜《よる》のたいまつは心の光 二 瘊子《ほくろ》はむかしの面影《おもかげ》        跡《あと》がさきとは妹《いもと》の縁組《ゑんぐみ》        疱瘡《はうそう》の神《かみ》もうらみず 三 衆道《しゆだう》の友《とも》よぶ鵆《ちどり》の香爐《かうろ》        都《みやこ》を山居《さんきよ》にする親父《をやぢ》        頼《たの》まれて心の外の念者《ねんじや》 四 神《かみ》のとがめの榎木《ゑのき》屋敷《やしき》        つよき人にはふる狸《たぬき》も        古き靱《うつぼ》がいきてはたらく 五 死《しな》ば同《おな》じ浪枕《なみまくら》とや        大井川は命《いのち》のわたり        一|度《ど》に六人|俄坊主《にはかばうず》 ## (一)我物《わがもの》ゆへに裸《はだか》川 口の虎《とら》身を食《はみ》。舌《した》の劍《つるぎ》命《いのち》を斷《たつ》は。人の本情《ほんしやう》に非《あらず》。憂《うれふ》るものは。富貴《ふつき》にして愁《うれへ》。樂《たのし》む者《もの》は貧《ひん》にして樂《たのし》む。嵐《あらし》は雲《くも》ふき晴《はれ》て。名月院《めいげつゐん》の詠《ながめ》。鎌倉《かまくら》山の秋《あき》の夕くれをいそぎ。青砥《あをと》左衞門|尉《じゃう》藤綱《ふじつな》。駒《こま》をあゆませて滑川《なめり》を渡《わた》りし時。聊《いさゝか》用《よう》の事ありて。火打袋《ひうちぶくろ》を明《あく》るに。十|錢《せん》にたらざるを。川|浪《なみ》の取落《とりおと》し。向《むか》ひの岸根《きしね》にあがり。里《さと》人をまねき。わづかの錢《ぜに》を。三|貫文《ぐわんもん》あたへて。是をたづねさせけるに。あまたの人足明松《にんそくたいまつ》を手毎《てごと》に。水は夜《よる》の錦《にしき》と見へ。人の足手《あして》は。しがらみとなつて瀬々《せゞ》を立切《たちき》り搜《さが》しけるに。一|錢《せん》も手にあたらずして。難義《なんぎ》する事しばらくなり。たとひ地《ち》を割《さき》。龍宮《りうぐう》までも是非《ぜひ》にたづねて取出《とりいだ》せと下知《げち》する時《とき》。ひとりの人|足《そく》。仕合《しあはせ》と。一|度《ど》に三|錢《せん》さがしあたり。其處《そのところ》を替《かへ》ず。又は一|錢《せん》二錢づつ。十錢ばかり取出せば。青砥《あをと》左衞門|勘定《かんじやう》あはせて。よろこぶ事かぎりなく。其男《そのをとこ》には外《ほか》に褒美《ほうび》をとらせ。これ其《その》まゝ捨置《すてをか》ば。國土《こくど》の重寶《ちやうはう》朽《くち》なん事ほいなし。三|貫《くわん》文は。世《よ》にとゞまりて人のまはり持《もち》と下人に語《かたり》て通《とをり》ける。此|斷《ことはり》聞《きゝ》ながら。一|文《もん》をしみの百しらずとぞ笑《わら》ひしは。智惠《ちゑ》の淺瀬《あさせ》を渡《わた》る下々が心《こゝろ》ぞかし。兎角《とかく》は夜《よる》のまふけに。おもひよらざる事なれば。今宵《こよひ》の月に集錢酒《しうせんざけ》呑《のま》んと。各《をの/\》勇《いさ》みをなせり。其中《そのなか》に。物の才覺《さいかく》らしき男《をとこ》のいへるは。いづれもに心よく酒《さけ》事さすは。我《われ》に禮《れい》をいふべし。其子細《そのしさい》は。青砥《あをと》が落《おと》せし錢《ぜに》に。たづね當《あたる》べき事は不|定《ぢやう》なり。時《とき》にそれがしが理發《りはつ》にて。此方《このはう》の錢を手まはしして。左衞門|程《ほど》。世《よ》にかしこき者《もの》を。僞《いつは》りすましけるといひければ。皆《みな》々|横手《よこで》をうつて。扨《さて》は其方がはたらきゆへ。樂遊《らくあそ》びのおもしろやと。盃《さかづき》はじめけるに。又ひとりの男。興《けう》を覺《さま》して。これ更《さら》に青砥《あをと》が心ざしにかなはず。汝《なんぢ》が發明《はつめい》らしき貌《かほ》つきして。人の鑑《かゞみ》となれる。其心を曇《くもら》せけるは。ならびなき曲者《くせもの》。天命《てんめい》もをそろし。我老母《われらうぼ》をはごくむたよりに。此錢|嬉《うれ》しかりしに。今の有増《あらまし》を聞《きゝ》。なんぞこれを取べし。其上《そのうへ》。母《はゝ》此事|聞《きか》ば。まことをもつて養《やしな》ふとも。中々|常《つね》も滿足《まんぞく》する事あらじと。其座《そのざ》を立《たち》て歸《かへ》り。母《はゝ》に語《かた》るまでもなく。朝《あした》にとく起《おき》て。馬《むま》の沓《くつ》を作《つく》りて。けふをなりあひに暮《くら》しぬ。此|男《をとこ》は。いはねど自然《しぜん》と青砥左衞門《あをとざゑもん》聞《きゝ》て。其|人足《にんそく》をとらへて。きびしく横目《よこめ》を付《つけ》。身を丸裸《まるはだか》にあらため。落《をと》せしまことの錢《ぜに》にたづね當《あた》るまで。毎日《まいにち》過代《くわたい》をいひ付けるに。秋《あき》より冬《ふゆ》川になる迄《まで》。いかばかり難儀《なんぎ》して。世間《せけん》もをのづから水かれて。是《これ》おのれが口ゆへ。やう/\眞砂《まさご》に成時《なるとき》。九十七日めに彼錢殘《かのぜにのこ》らず。さがし出し。あやうき命《いのち》をたすかりぬ。是《これ》おのれが口ゆへ。非道《ひだう》をあらはしける。其後《そのゝち》正道《しやうだう》を申せし人足《にんそく》の事を。ひそかに尋《たづ》ねられしに。千馬《ちば》之介が筋目《すぢめ》。歴々《れき/\》の武士《ぶし》にて。千馬《ちば》孫《まご》九朗といへる者《もの》なるが。仔細《しさい》あつて。二代まで身を隱《かく》し。民家《みんか》にまぎれて住《すみ》ける。石流《さすが》侍《さふらひ》のこゝろざしを深《ふか》く感《かん》じて。青砥《あをと》左衞門此事を。時頼公《ときよりこう》に言上《ごんじやう》申して。首尾《しゆび》よく召出《めしいだ》されて。二たび武家《ぶけ》のほまれちとせを祝《いは》ふ鶴《つる》が岡《をか》に住《すみ》ぬ。 ## (二)瘊子《ほくろ》はむかしの面影《おもかげ》 明智日向守《あけちひうがのかみ》の已前《いぜん》は。十|兵衞《びやうゑ》といひて。丹州龜山《たんしうかめやま》の城主《じやうしゆ》につかへて。やう/\廣間《ひろま》の番組《ばんぐみ》に入。外樣《とざま》のつとめをせしが。朝暮《てうぼ》心ざし常《つね》の人には。格別《かくべつ》替《かは》りて。奉公《ほうこう》にわたくしなき事。自然《しぜん》と天理《てんり》に合《かな》ひ。ほどなく弓大將《ゆみだいしやう》に仰付《あふせつけ》られ。同心《どうしん》二十五人|預《あづか》り。武家《ぶけ》の面目《めんぼく》。此時《このとき》具足金《ぐそくかね》。拾|兩《りやう》有しに。はや一|國《こく》の大名《だいみやう》にも成ぬべき願《ねが》ひ。生《うま》れつきての大氣《たいき》。其身《そのみ》の徳《とく》也。十兵衞今に妻《つま》のなき事を身をよび。息女《そくぢよ》持《もち》たる人。乞聟《こひむこ》の望《のぞ》み。彼是《かれこれ》内證《ないしやう》をいひ入けるに。妻《つま》は近江《あふみ》の國澤山《くにさはやま》。何がしに美《び》なる娘《むすめ》の兄弟《きやうだい》ありて。いづれか花紅葉色《はなもみぢいろ》くらべのすぐれて。あねの見よげなれば。十一の年《とし》よりいひかはして。身體《しんたい》極《きはま》りて。是《これ》をむかへる約束《やくそく》。それよりは七とせあまりも過《すぎ》ぬれば。世の哀《あは》れ人の情《なさけ》もしるべき程《ほど》なり。近々《ちか/゛\》に呼《よび》むかへんと。妻女《さいぢよ》の親《おや》のもとへ状通《ぢやうつう》いたせしに。世には移《うつ》り替《かは》れる歎《なげき》あり。兄弟《きやうだい》の娘《むすめ》。一|度《ど》に疱瘡《ほうそう》の山をあげしに。美《び》なる姿《すがた》の姉《あね》むすめ。貌《かほ》いやしげに。さりとはむかしと替《かは》りぬ。妹娘《いもとむすめ》は。已前《いぜん》にすこしもかはらず。面影《おもかげ》うつくしくそだちぬ。十兵衞に約束《やくそく》せし。姉《あね》が形《かたち》の各別《かくべつ》になれば。是《これ》を人中におくりて。醜《みにく》き形《かたち》を耻《はぢ》させ。我《われ》が娘《むすめ》と沙汰《さた》せらるゝもよしなしと。夫婦《ふうふ》内談《ないだん》して。いまだ妹《いもと》は何方《いづかた》へも契約《けいやく》なければ。何となく是《これ》をつかはし申べしと。此事を語《かた》れば。更《さら》に身の事を歎《なげ》かず。自《みづから》此|姿《すがた》にて。十兵衞にまみゆる事は。思ひもよらず。まして此|形《かたち》を。堪忍《かんにん》すべき者《もの》あればとて。外《ほか》に男《をとこ》を持《もつ》べき心底《しんてい》にあらず。妹《いもと》は我等《われら》がむかしに風俗《ふうぞく》もかはらず。よろづにかしこく。心ざしもしほらしく。生《うま》れつきぬれば。何國《いづく》に行《ゆき》ても二親《ふたおや》の御|名《な》はくださし。是《これ》を十兵衞殿へおくらせ給へ。我等《われら》は兼《かね》て出家《しゆつけ》の願《ねが》ひ。諸佛《しよぶつ》をかけて。僞《いつはり》なしと手馴《てなれ》し唐《から》の鏡《かゞみ》をうちくだきて。浮世《うきよ》を捨《すて》る誓文《せいもん》を立《たて》しを聞《きゝ》て。父《ちゝ》も母《はゝ》も感涙《かんるい》袖《そで》にあまりて。しばらく思案《しあん》せしが。角《かく》いひ出《いだ》して。歸《かへ》らぬ事ぞと妹《いもと》に何《なに》の仔細《しさい》もなく。龜山《かめやま》におくる。縁付《ゑんづき》の事を申|渡《わた》せば。何とも合點《がつてん》まいらず。姉君《あねぎみ》より先立《さきだ》ちて。道《みち》の違《たが》へる所なり。姉《あね》の御身かたづきて。後《のち》はともかくもと申あげける。尤至極《もつともしごく》。それは世間《せけん》の順義《じゆんぎ》ながら。姉《あね》はつね/゛\出家《しゆつけ》の心《こゝろ》ざし深《ふか》く。思ひこめしゆへ。兎角《とかく》は望《のぞ》みにまかせ。近々《ちか/゛\》に南都《なんと》の法家寺《ほつけじ》へつかはしける。そのかたは龜山《かめやま》におくる也。女にうまれても。其身《そのみ》の仕合《しあはせ》有。明智《あけち》十兵衞といへる人はまづ武藝《ぶげい》すぐれて。殊更《ことさら》理《り》にくらからねば諸事《しよじ》に埒明《らちあけ》にして。一|生《しやう》つれ添《そふ》。夫妻《ふさい》の樂《たの》しみ深《ふか》し。しかも次第《しだい》に出世《しゆつせ》の侍《さふらひ》なれば。我々《われ/\》老後《ろうご》のたよりとも成ぬべき人ぞと。さま/゛\いひ聞《きか》せけるに女ごころに嬉《うれ》しく。親達《おやたち》の仰《あふせ》にまかせ。吉祥日《きつしやうにち》をゑらび。相應《そうをふ》よりは美々敷仕《びびしくし》たて。龜山《かめやま》におくられける。十兵衞も縁のはじめを祝《いわ》ひ。松竹《まつたけ》の臺《だい》の物《もの》を調《ととの》へ。數々《かず/\》の盃《さかづき》事までも。振分髮《ふりわけがみ》に見し姉《あね》むすめとおもひしが。其後《そののち》寢間《ねま》のともし火ちかく。互《たがい》に面《おもて》を見|合《あは》せし時。十兵衞むかしの脇貌《わきがほ》に氣《き》をつけて。其時《そのとき》は此女にとがむる程《ほど》にはあらぬ瘊子《ほくろ》ひとつありしが。おとなしく成て。それもはぢて取《とり》うせけるかと。いはずして。耳《みゝ》のほとりをみしに。娘《むすめ》もはや心を付て。是《これ》にほくろのましますは。わたくしの姉君《あねぎみ》なり。うるはしき御|姿《すがた》疱瘡《ほうそう》にて變らせ給ひ。さりとは女の身にしては。御いとほしき事なり。さし置《おき》て自《みづから》の縁組《ゑんぐみ》は逆《ぎやく》なると斷《ことはり》申せど。二親《ふたおや》の命《めい》をそむくなれば。是におくらせけるも。心懸《がか》りのやむ事なし。今おもひあはせば。こなたさまの御|約束《やくそく》は姉君《あねぎみ》にうたがひなし。いかにしても道《みち》のたゝざる事なれば。何事《なにごと》もゆるし給はれ。わたくしはけふより出家《しゆつけ》と。守刀《まもりがたな》にて黒髮《くろかみ》切《きる》を留《とゞめ》て。其方《そのはう》形《かたち》をかへても。世間《せけん》濟《すむ》まじ。人《ひと》しれず内證《ないしやう》にて。それがしが分別《ふんべつ》あり。五日に歸《かへ》るまで待給《まちたま》へ。武士《ぶし》の息女《そくじよ》の心底《しんてい》と深《ふか》く感《かん》じて。それより二たび貌《かほ》をも見ずに隔《へだゝり》て里歸《さとがへ》りの時。段々状通《だん/\じやうつう》にしるし。右《みぎ》もらひしは姉《あね》なれば。難病《なんびやう》は世にあるならひ。たとひむかしの形《かたち》なくとも。是非《ぜひ》におくらせ給へ。一|命《めい》にかけても夫妻《ふさい》願《ねが》ひの所存《しよぞん》。ことに此《この》たび妹の心入。女ながら道理《だうり》につまりけると。心中の程《ほど》いひやりしに。親里《おやざと》にも此事|滿足《まんぞく》して。十兵衞|願《ねが》ひにまかせ。また姉娘《あねむすめ》をつかはしけるに。うちとけて。ふびんをかけ。此|中長《なかなが》くもがなと祈《いのり》ける。女はひとしほ男《をとこ》の情《なさけ》をわすれもやらず。萬心《よろづ》にしたがひぬ。此|妻《つま》美女《びぢよ》ならば。心のひかるゝ所も有に義理《ぎり》ばかりの女房《にようばう》なれば。只《ただ》武《ぶ》をはげむひとつに身をかためぬ。此女かたちに引かへて。こゝろたけく割《わり》なき中にも外を語《かた》らず。明暮《あけくれ》軍《いくさ》の沙汰《さた》して。廣庭《ひろには》の眞砂《まさご》を集《あつ》め。城取《しろどり》せしが。自然の理《り》にかなひて。十兵衞が心の外なる事も有て。そも/\此女|武道《ぶだう》の油斷《ゆだん》をさせずして世に其名《そのな》をあげしと也 ## (三)衆道《しゆだう》の友《とも》よぶ鵆《ちどり》香爐《かうろ》 京都將軍《きやうとしやうぐん》ひがし山殿御時《やまどのおんとき》。世のもてあそび事。はじめて取立《とりたて》させられ。萬人花車風流《ばんにんきやしやふうりう》になりてゆたかに暮《くら》しぬ。中にも名香《めいかう》の煙《けふり》を好《すか》せ給ひ。諸國《しよこく》より集《あつま》りて。六十|種《しゆ》の名《な》のみおもしろかりき。折ふし霜夜《しもよ》の更行《ふけゆく》まで。此木の御|沙汰《さた》有しに。明《あけ》がたの嵐《あらし》につれて。聞《きゝ》も馴《なれ》ざるかほりに。いづれも心をすまし給《たま》ひ。御|屋形《やかた》のうちをたづねさせられしに。御門《ごもん》をはなれて外《ほか》んれば。丹波守利清《たんばのかみとしきよ》に仰付《あふせつ》けられ。此ゆかりいかなる方《かた》ぞ。たづねまいれのよし手まはりの侍《さふらい》二人めしつれて。其匂《そのにほ》ひにひかれて行《ゆく》に。柳原《やなぎはら》はるかに過《すぎ》て。加茂《かも》の川原《かはら》になれば。次第《しだい》にかほりも深《ふか》く。淺瀬《あさせ》をわたり越《こへ》しに。十一月すゑの六日の夜《よ》。いつよりは暗《くら》く。物の色《いろ》あひも見えず。星影《ほしかげ》のさゞれ水に移《うつ》り。是《これ》をたよりにむかふの岸《きし》にあがれば。汀《みぎは》の岩《いは》の上に簑笠《みのかさ》着《き》たる人の。香爐《かうろ》を袖口《そでくち》に持添《もちそへ》。氣《き》を靜《しづか》にして。座《ざ》したる風情《ふぜい》の心《こゝろ》にくし。いかなる事有てかく獨《ひとり》はおはしけるぞと問《とい》けるに。たゞ何《なに》となく千鳥《ちどり》の音《こゑ》をのみ聞《きく》とこたへぬ。さりとは替《かは》りたる境界《きやうがい》。是各別《これかくべつ》の樂《たの》しみ。只《ただ》人とはおもはれず。いかなる御|方《かた》とたづねしに。僧《そう》にあらず。俗《ぞく》にあらず。三|界《かい》無庵同前《むあんどうぜん》にて。六十三に成ける我《われ》。いまだ足《あし》も立《たち》けるといひ捨《すて》て。岡野邊《おかのべ》の並松《なみまつ》わけて立|歸《かへ》る。扨《さて》も氣散《きさん》じなる返答《へんたう》やと。なをしたひ。それがしが。たよるは其木《そのき》のゆかしく。まいるなり。何といへる名香《めいかう》ぞと聞《きゝ》しに。むつかしや老人《らうじん》はしらず。すがりたれども聞分《きゝわけ》給へと。香《かう》わたして行方《ゆきがた》しらずに成にき。利清《としきよ》立歸《たちかへ》りてあらましを申しあげしに。其《その》身の取置《とりをき》うらやましく。覺《おぼ》しめされて。其《その》人を色々《いろ/\》たづねられしに。更にしれざる事をほいなくおぼしめされ。彼香爐《かのかうろ》を鵆《ちどり》と銘《めい》をうたせられ。名物《めいぶつ》と成《なり》ぬ。其頃《そのころ》關東侍《くはんとうざふらひ》の一|子《し》とて。美形《びけい》都《みやこ》の花《はな》にまさり櫻井《さくらい》五郎吉といへる人。今年《ことし》十六にて。姿《すがた》ゆゑめし抱《かゝへ》られ。近《ちか》ふ御前《ごぜん》を勤《つと》めけるが。鵆《ちどり》の香爐《かうろ》見しより物《もの》おもふ氣色《けしき》。人も見とがめける程《ほど》に包《つゝ》みかねしを。有人ひそかに問《とい》しに。はじめの程《ほど》はいはざりしが。いつとなく次第《しだい》よはりの身と成《なり》。死《しね》ば言葉《ことば》を形見《かたみ》と語《かた》りし。此|香爐《かうろ》のぬしとは。兄弟《きやうだい》の約束《やくそく》深《ふか》く出合いしに。我《われ》出世《しゆつせ》のためにはならずと。古里《ふるさと》を出で。都《みやこ》のかたにのぼられしを。わすれもやらず。いとしさに其跡《そのあと》をしたひ。此御|家《いへ》に住《すむ》事。もし其《その》人にあふ事も有なんとおもふ折ふし。香爐《かうろ》は縁《ゑん》に見《み》しりて。たづぬる事の成難《なりがた》き。病氣《びやうき》におかされしは。是非《ぜひ》もなき我身《わがみ》と。袖《そで》に玉《たま》ちる泪川《なみだがは》。しばしもかはく事なし。此|哀《あはれ》を問《とふ》人は同《おな》じ小姓仲間《こしやうなかま》の樋口《ひぐち》村《むら》之助といへる人なるが。つねにも情深《なさけふか》く語《かた》りあひしが。自然《しぜん》の事もあらば。よき友《とも》ひとり失ひけるをなげきぬ。かくて日數《ひかず》ふるうちに五郎吉|頼《たのみ》すくなく成て。息《いき》も絶々《たへ/゛\》の時にいたりて。又もなき無心《むしん》を申出しぬ。我相果《われあひはて》ての後《のち》彼《かの》人にたづねあひ給ひて。其身《そのみ》それがしに替《かは》り。兄弟念比《きやうだいねんごろ》かへす/゛\も頼《たのむ》といへり。此義《このぎ》は少ししんしやく成事ながら。何事も命《いのち》かけてと。申しかはせし義理《ぎり》にせめられ。此事|請合《うけあひ》ければ。嬉《うれ》しげに笑《ゑみ》て。是《これ》を見をさめの貌《かほ》ばせかはりて。つゐに空《むな》しく成《なり》ぬ。生死《しやうじ》は世のならひとて。なげく人も有。又身にかゝらぬ人は。そこ/\にかなしみて。鳥部《とりべ》山の夕煙《ゆふけふり》となし。朝《あした》の白骨《はつこつ》と消《きへ》ぬ。世《よ》にこれほどはかなき事はなかりき。五郎吉がなき跡《あと》の事。病家《びようか》の反古《ほうぐ》までも取隱《とりかく》して。念比《ねんごろ》に仕廻《しまい》。それより村《むら》之介は。五郎吉が遺言《ゆいごん》にまかせ。千鳥《ちどり》を聞きし隱者《いんじや》の事をたづねしに。今出川《いまでがは》の藪垣《やぶがき》のほとりに。わづかなる隱家《かくれが》。組戸《くみど》さし籠《こめ》て。夢《ゆめ》の心にすみなせるうちにも。東《あずま》に別《わか》れける五郎吉が事《こと》ども。忘《わす》るゝ日もなく。けふは時雨《しぐれ》て。ひとしほ淋《さび》しき折《をり》ふし。村《むら》之介ひそかに入て。五郎吉|最期《さいご》の次第《しだひ》を語《かた》れば。隨分《ずいぶん》おさめたる。身を取亂《とりみだ》し。是ばかりは世の僞《いつはり》になれかしと。男泣《おとこなき》の有さま。見るめも。ともになげかしく。しばしは物語《ものがたり》すべき事もやみけるが。いはねば五郎吉が草《くさ》のかげなる恨《うらみ》もうたてく。此|隱者《いんじや》の俤《おもかげ》を。つく/゛\見しに。六十にあまれる人の形《かたち》もいやしかるに。若念《じやくねん》の契《ちぎ》りを結ぶは何とやらはづかしき事にぞあれど。死人《しにん》といひかはせければ。是非《ぜひ》なく子細《しさい》をかたり。五郎吉になりかはりて。今より兄弟分《きやうだいぶん》と覺《おぼ》しめして。かはゆがらせ給へといへば。此男なげきの中に驚《おどろ》き。是《これ》はおもひよらざる契約《けいやく》ゆるし給へと。中々|同心《どうしん》せざりき。村之介申出しての赤面《せきめん》。さては一|分《ぶん》立難《たちがた》しと身を捨《す》つる覺悟《かくご》に。菟角《とかく》は五郎吉の申|殘《のこ》せしにまかせ。又|戀《こひ》をとりむすび。世に長《なが》く語《かた》りなぐさまんと。言葉《ことば》をかためて。其後《そののち》は夜毎《よごと》にしのびて通《かよ》ひぬ。わけなき事を頼《たの》まれ。心には染《そ》まざれども。義理《ぎり》ばかりの念友《ねんゆう》。村之介が心底《しんてい》まこと成|哉《かな》と是《これ》を感《かん》じぬ ## (四)神《かみ》のとがめの榎木《ゑのき》屋敷《やしき》 江州《こうしう》淺井殿《あさいどの》の時。屋方町《やかたまち》のすへに。古代《こたい》より枝葉《えだは》さかへたるゑの木あり。むかしは神《かみ》やしろ立《たゝ》せけるといひ傳《つた》へて。石《いし》の玉垣《たまがき》のかたち殘《のこ》れり。所はんじやうなれば。人家《じんか》立つゞきて。是も榎木屋敷《ゑのきやしき》とて。藏《くら》奉行役《ぶぎやうやく》諸尾《もとを》勘太夫といへる人。申|請《うけ》て新作《にいづく》りいたせしに。神《かみ》のとがめにや。世間《せけん》はしづかなる夜《よ》ふけて。醒《なまぐさ》き風吹《かぜふき》かよひ。人の身にあたるといなや。むつける程《ほど》に草臥《くたびれ》つきて。爰《こゝ》に住居《ぢうきよ》堪忍《かんにん》しかね。子細《しさい》を御|斷《ことはり》申あげ。此|屋敷《やしき》をさしあげける。其後《そののち》是《これ》を望《のぞ》みて住《すみ》しに。間《ま》もなく。病死《びようし》または惡風《あくふう》にたいくつして。幾《いく》たりか替《かは》りて今は明屋敷《あきやしき》と成て。門《もん》は唐蔦《からつた》閉《とぢ》て。みねども此|内《うち》すさまじ。有時|若手《わかて》の武士《ぶし》ども寄合《よりあひ》語《かた》りける次手《ついで》に。榎木屋敷《ゑのきやしき》にすむ人なきと咄《はな》しけるに。此|座《ざ》に長濱《ながはま》金藏《きんざう》といへる人の申されしは。いかに神《かみ》やしろ跡《あと》なればとて人にたゝり給ふ子細《しさい》なし。それは住《すめ》る人の愚《おろか》なるゆへなりと。世の人あさましく申しぬ。其|座《ざ》に以前《いざん》此|屋敷《やしき》に住《すみ》たる人の親類内縁《しんるいないゑん》の方も有て。金藏|言葉《ことば》を耳《みゝ》にかけ。いづれ。貴殿《きでん》はあれに住《すみ》ながらへ給はんと。すこし氣《き》をもたせければ。申|出《いだ》して是非《ぜひ》に及《をよば》ず。老中《らうぢう》へ内意《ないい》を申せば。望《のぞ》むを幸《さいわひ》に早速《さつそく》給りける。金藏此|屋形《やかた》に移《うつ》りて第《だい》一。此|榎木《ゑのき》曲物《くせもの》成と枝葉《えだは》をもがせけるに。神《かみ》のとがめもなかりき。是を思ふに惣《そう》じて。かやうの事は。あるじの氣《き》のつよきにしたがひ。かならずやむ事と物《もの》になれたる人の語《かた》りぬ。有|雨夜《あまよ》に金藏|家來《けらい》集《あつま》りて世におそろしき物語《ものがたり》にて明《あか》しぬ。此内のひとり雪隱《せついん》に行《ゆく》をみかけて。才覺なる小坊主《こぼうず》古《ふる》き靱《うつぼ》をさげ出。壁《かべ》のくづれよりさし入。其ものゝ腰《こし》をなでけるに。におどろき。にげ歸《かへ》るをおかしく。其後《そののち》たび/\おどしければ。誰《たれ》がいふともなく。毛《け》のはへたる手《て》して。抓《つかむ》といひふらして。暮《くれ》ては自由《じいう》い行《ゆく》人|絶《たへ》て。是も又|氣味《きみ》の惡《わる》き事ぞかし。是をしらざる人外よりきたりて。かの雪隱《せついん》へ行《ゆき》しに。くだんの靱《うつぼ》片隅《かたすみ》より踊出《おどりいで》。生《いき》たる物のはたらき。をの/\不思議《ふしぎ》を立《たて》。ためしみるに。人さへ行《ゆけ》ば。靱《うつぼ》の狂《くる》ひ出《いづ》るを。段々《だん/\》申あぐれば。金藏何ともをもはず。扨《さて》は是にて誰《たれ》か。はじめの程《ほど》腰《こし》を撫《なで》ける人のをぢぬる心《こゝろ》たま。是に入《いり》て。かくは動《うご》きける。おのれは矢《や》がらを入る役《やく》なるに。無用《むよう》のはたらき。其科《そのとが》今おもひしれと。燒捨《やきすて》けるに。煙《けふり》の中《うち》にて最期《さいご》わきまへ。狂《くる》ひぬ。物のあやかし。かやうの事ぞと皆《みな》人にあんどさせて。此|屋敷《やしき》にて八十|餘歳《よさい》まで。堅固《けんご》に勤《つと》めける。金藏人中の一|言《ごん》その義理《ぎり》たがへず。爰《こゝ》にすましけるは。天晴《あつぱれ》武士《ぶし》の一心とぞの世の人《ひと》ほめにき ## (五)死《しな》ば同《おな》じ浪枕《なみまくら》とや 人間定命《にんげんぢやうみやう》の外《ほか》。義理《ぎり》の死《し》をする事。是|弓馬《きうば》の家《いへ》のならひ。人みな魂《たましい》にかはる事なく。只《たゞ》その時《とき》にいたりて覺悟《かくご》極《きはむ》るに。見《み》ぐるしからず。其頃《そのころ》攝州《せつしう》伊丹《いたみ》の城主《じやうしゆ》。荒木《あらき》村重《むらしげ》につかへて。神崎式部《かんざきしきぶ》といへる人|横目役《よこめやく》を勤《つと》めて。年《とし》久しく此御|家《いへ》をおさめられしは。筋目《すぢめ》たゞしきゆへなり。有時|主君《しゆくん》の御次男《ごじなん》。村丸東國蝦夷《むらまるとうごくえぞ》が千島《ちしま》の風景《ふうけい》御一|覽《らん》の覺《おぼ》しめし立《たち》。式部《しきぶ》も御|供役《ともやく》仰付《あふせつけ》られしに。一子の勝《かつ》太郎も御|供《とも》の願《ねが》ひ叶《かな》ひて。父子《ふし》ともに其用意《そのようい》して東路《あづまぢ》にくだりぬ。比《ころ》は卯《う》月のすへ日數《ひかず》かさねて。けふの旅泊《たびどまり》は駿河《するが》なる島田《しまだ》の宿《しゆく》に兼《かね》て定《さだけ》しに。折ふし雨《あめ》ふりつゞき。殊《こと》に其日は佐夜《さよ》の中々をだやみなく。菊川《きくがは》わすかの道橋《みちはし》も白浪《しらなみ》越《こ》すかと見えて。しかも松吹嵐《まつふくあらし》にすへ/゛\の者《もの》は袖合羽《そでがつぱ》の裾《すそ》かへされて。難義《なんぎ》の山|坂越《さかこへ》て。金谷《かなや》の宿《しゆく》に人數《にんじゆ》を揃《そろ》へ。大井川の渡《わた》りを急《いそ》がせられしに。式部《しきぶ》は跡役《あとやく》あらため來《きたつ》て。川の氣色《けしき》見|渡《わた》し。水かさ次第《しだひ》につのれば。けふは是に御一|宿《しゆく》あれと。樣《さま》/゛\留《とど》めまゐらしけれども。血氣《けつき》さかんにましまして。是非《ぜひ》をかんがへ給はず。御心のまゝに越《こせ》よとの仰《あふ》せ。いづれも大|浪《なみ》に分入。流《ながれ》て死骸《しがい》の見えぬもあまたにて。渡《わた》りかゝらせての御難義《ごなんぎ》。跡《あと》へかへらず。漸《やう/\》先《さき》の宿《しゆく》にあがらせ給ひぬ。式部《しきぶ》は跡《あと》より越《こへ》けるが。國元《くにもと》を出し時。同役《どうやく》の森岡丹後《もりおかたんご》。一|子《し》に丹《たん》三郎十六|歳成《さいなる》が。はじめての旅立《たびだち》。諸事《しよじ》頼《たの》むとの一|言《ごん》。茲《こゝ》の事なりと。我子《わがこ》の勝《かつ》太郎を先《さき》に立《た》て。次《つぎ》に丹《たん》三郎を渡《わた》らせ。人馬《じんば》ともに吟味《ぎんみ》して。其身《そのみ》は跡《あと》よりつゞきしに。程《ほど》なく暮《くれ》におよび。川越瀬《かはごしせ》を踏違《ふみちがへ》て。丹《たん》三郎馬の鞍《くら》かへりて。横浪《よこなみ》に掛《かけ》られ。はるか流《なが》れて沈《しづ》み。是をなげくにはや行《ゆき》方しれず成《なり》にき。しかも岸根《きしね》今すこしに成て。ことに歎深《なげきふか》し。我子《わがこ》の勝《かつ》太郎は子細《しさい》なく。汀《みぎは》にあがありぬ。式部《しきぶ》十方《とはう》にくれて。暫《しばら》く思案《しあん》しすまして。一|子《し》の勝《かつ》太郎をちかづけいひけるは。丹《たん》三郎|義《ぎ》は。親《おや》より預《あづか》り來《きた》り茲《こゝ》にて最期《さいご》を見捨《みすて》。汝《なんぢ》世に殘《のこ》しては丹後《たんご》手前《てまへ》武士《ぶし》の一|分《ぶん》立《たち》がたし。時刻《じこく》うつさず相果《あひはて》よといさめければ。流石《さすが》侍《さふらひ》の心ね。すこしもたるむ所なく。引《ひき》かへして。立浪《たつなみ》に飛《とび》入。二たび其俤《そのおもかげ》は見えずなりぬ。式部《しきぶ》は暫《しばら》く世《よ》を觀《くわん》じ。まことに人間の義理程《ぎりほど》かなしき物はなし。故郷《ふるさと》を出し時。人もおほきに我《われ》を頼《たの》むとの一|言《ごん》。其《その》まゝには捨《すて》がたく。無事《ぶじ》に大川を越《こ》へたる一|子《し》を態《わざ》と最期《さいご》を見し事。さりとてはうらめしの世や。丹後《たんご》は外にも男子《むすこ》をあまた持《もち》ぬれば。歎《なげ》きの中にも忘るゝ事も有なん。某《それがし》はひとりの勝《かつ》太郎に別《わか》れ。次第《しだひ》による年《とし》の末《すへ》に何か願《ねが》ひの樂《たのし》みなし。殊《こと》に母《はゝ》がなげきも常《つね》ならず。時節《じせつ》外なる憂別《うきわかれ》。おもへばひとしほかなしく。此身も茲《こゝ》に果てなんと思ひしが。主命《しゆめい》の道《みち》をそむくの大事と。面《おもて》に世間《せけん》を立《たて》て内意《ないゝ》は無常《むじやう》の只中《たゞなか》を觀念《くわんねん》して。若殿《わかとの》御|機嫌《きげん》よく御歸城《ごきじやう》を見屆《みとどけ》。何となく病氣《びやうき》にして取籠《とりこも》り。其後《そののち》御|暇《いとま》を乞《こい》て。首尾《しゆび》よく伊丹《いたみ》を立《たち》のき。播州《ばんしう》の清水《きよみづ》に。山ふかくわけ入。夫婦形《ふうふかたち》をかへて。佛《ほとけ》の道《みち》を願《ねが》ひ。それまでは子細《しさい》を人もしらざりしが。勝《かつ》太郎|最期《さいご》の次第《しだい》。丹後《たんご》つたへ聞て其心ざしを感《かん》じ。是も俄《にはか》に御|暇乞請《いとまこいうけ》。妻子《さいし》も同じ墨衣《すみごろも》。式部入道《しきぶにうだう》の跡《あと》をしたひて。其山にたづね入|憂世《うきよ》の夢《ゆめ》を松風《まつかぜ》に覺《さと》し。泪《なみだ》を子どもの手向《たむけ》水となし。ふしぎの縁《ゑん》にひかれて。ぼだいに入し山の端《は》の月。心の曇《くも》らぬかたらひ。たぐひなき。後世《ごせ》の友《とも》。おこなひすまして年月をおくりしに。其人ものこらず。今又世に有人もおこらず # 武家義理物語《ぶけぎりものかたり》 卷二 ##       目録《もくろく》 一 身體《しんだい》破《やぶ》る風《かぜ》の傘《からかさ》        阿波《あは》の鳴渡《なると》に氣《き》が立浪《たつなみ》        うらみは富士《ふじ》を磯貝氏《いそがいうぢ》の事 二 御堂《みだう》の太鼓《たいこ》打《うつ》たり敵《かたき》        東武《とうむ》より飛《とぶ》がごとく雁書内見《がんしよないけん》        露《つゆ》は花屋《はなや》が門に命《いのち》の事 三 松風斗《まつかぜばかり》や殘《のこ》るらん脇指《わきざし》        身がな二つ月の夜|雪《ゆき》の夜        兵者《つはもの》もよはものも御|用《やう》に立《たつ》事 四 我《わが》子をうち替手《かへで》        相手《あいて》をよくもきれとの文珠《もんじゆ》        分別《ふんべつ》の外の屋繼《やつぎ》の事 ## (一)身體《しんだい》破《やぶ》る風《かぜ》の傘《からかさ》 幾春《いくはる》か身をいはゐ。若松《わかまつ》の城主《じやうしゆ》。加藤肥後守殿《かとうひごのかみどの》に勤《つとめ》て。本部兵右衞門《もとべひようへもん》とて。武《ぶ》の道《みち》。けなげなる人なりしが。侍《さむらひ》は住居《ぢうきよ》定《さだめ》がたし。奉公《はうこう》ざかりの花の時。俄《にはか》に落花《らくくは》のごとく。會津《あいづ》の惣並《そうなみ》に立のき。浪《らう》人ほどかなしきはなし。妻子《さいし》はかゝる節《せつ》の難義《なんぎ》。又|身體《しんだい》をかせぐうちに。兵右衞門|病死《びようし》をなげき。惣領《いうりやう》をおもふ子細《しさい》有て。一|子《し》兵右衞門と申せしを。三|番《ばん》めの弟《おとゝ》。武州《ぶしう》にて磯貝《いそがい》何がしの家《いへ》を繼《つい》で。磯貝《いそがい》藤兵衞といへり。此かたへ養子《やうし》につかはし。其身は高野《かうや》に隱《かく》し。二|尊院《そんゐん》の門前《もんぜん》に。幽《かすか》なる草《くさ》の庵《いほり》。うき世の月を餘所《よそ》に見なし。いつとなく胸《むね》も晴《はれ》て。廟前《びやうぜん》の杉《すぎ》むら。心の針《はり》のとがりをやめて。今は千本槇《せんぼんまき》の露《つゆ》をはらひ。觀念《くはんねん》の朝勤《あさづとめ》。夕《ゆふべ》は岩上《がんじやう》にたゝずみ。後《のち》の世を願《ねが》へるの外なし。さて名を岡本雲益《をかもとうんゑき》とあらためける。雲益《うんゑき》さしつぎの弟《おとゝ》。本部《もとべ》喜介と申せしは。蜂須賀《はちすか》の家《いへ》に有しが。眼病氣《がんひやうけ》にて暇《いとま》申|請《うけ》。阿州《あしう》の片里《かたざと》に引籠《ひきこもり》。世を隙《ひま》にして暮《くら》しぬ。一|子《し》は磯貝《いそがい》藤介といひて。是も牢人分《ろうにんぶん》なり。喜介弟は出家《しゆつけ》して。同國《どうこく》眞言寺《しんごんでら》源久寺《げんきうじ》にすはりぬ。又|源久寺《げんきうじ》弟《おとゝ》は。本部《もとべ》實《じつ》右衞門と申して。是も阿州《あしう》に安留《やすとめ》次左衞門といへるは。親《おや》兵右衞門と古傍輩《こはうばい》なるゆへ。其よしみにて。是にかゝり人と成て。年月|爰《こゝ》に暮《くら》しぬ。實《じつ》右衞門有|時《とき》。新橋《しんばし》をわたり行《ゆく》に。折ふし雨風《あめかぜ》はげしく。前後《ぜんご》も見へざりし時に。むかふより島川《しまかは》太兵衞と申す人。是もわたりかゝりぬ。兩方《りやうはう》ともに。さしかたかたぶけて。行違《ゆきちが》ひしに。橋《はし》の中ほどにて實《じつ》右衞門|傘《からかさ》を。太兵衞さしかさに振《ふり》あてしに。太兵衞。是は慮外《りよぐはい》とつきのけしに。實《じつ》右衞門|慮外《りよぐはい》といはれては。斷《ことは》りも申されず。其方|何者《なにもの》にて。すいさんなる言葉《ことば》といふ。すいさんとないかに。みれば安留《やすどめ》次左衞門が家來《けらい》のぶんとして。詫《わび》て通《とを》るべき事|本意《ほんい》なるに。かへつて雜言《ざうごん》申|段《だん》。爰《こゝ》は堪忍《かんにん》なりがたしと。ぬけばぬきあはせて。しばらく切結《きりむす》びし。實《じつ》右衞門|運命《うんめい》つきて。終《つい》にうたれける。其|時節《じせつ》。磯貝《いそがい》兵右衞門。同名《どうみやう》藤介此|兩人《りやうにん》。太兵衞をねらひしに。又|者分《ものぶん》の御|沙汰《さた》にきはまり。うつ事成がたく。是非《ぜひ》におよばず。所を立《たち》のき武州《ぶしう》にくだり同名《どうめう》藤兵衞方に居《い》て。國元《くにもと》の樣子《やうす》。聞合《きゝあはせ》けるに。太兵衞|事《こと》。すこし手《て》を負《をい》御|奉公《はうこう》成がたく。御|斷《ことはり》申上。弟《おとゝ》惣八に家《いへ》を繼せ。其身は遠所《ゑんじよ》の山|里《ざと》にひつそくして。名《な》を本立《ほんりう》と替《かへ》て。かしらを散切《ざんぎり》に成。醫道《いだう》を心がけ。むかしのごとく。榮花《ゑいぐは》の望《のぞ》み絶《たへ》て。世のまじはりをやめられける。兵右衞門は江戸《ゑど》に罷在《まかりある》うちに。世間《せけん》の事どもうち捨《すて》。たゞ一|念《ねん》に伯父《をぢ》の敵《かたき》うちたき願《ねが》ひばかりに。朝暮《てうぼ》武藝《ぶげい》はげみ。毎日《まいにち》兵法《へいほう》の師《し》の許《もと》に相勤《あひつと》めけるが。何とぞ武運《ぶうん》にかなひ。島川《しまかは》太兵衞にめぐりあひたき諸願《しよぐわん》をかけ。しのび/\に阿州《あしう》の内證《ないしやう》を聞《きく》に。國《くに》を出《いで》ざれば。何ともせん方《かた》つきて。氣《き》をなやみしに。其|里《さと》の人。年《とし》ごろ別《べつ》してかたり。殊更《ことさら》内縁《ないゑん》のよしみ成けるが。長病《ちやうびやう》にて。所の療治《りやうぢ》つきて。次第《しだひ》に。たいくつの身と成。上方《かみがた》の名醫《めいい》にあひて相談《さうだん》有たき願《ねが》ひ。一|門《もん》同心《どうしん》して。養生《やうじやう》のため大坂にのぼれば。本立《ほんりう》も是を見捨《みすて》がたく。氣《き》づかひ絶《たへ》ざる身なれども。常々念頃《つねづねねんごろ》の義理《ぎり》をおもひて。病人《びやうにん》はしんしやくすれども。船中《せんちう》の氣分《きぶん》心もとなしと付添《つきそひ》大坂に着船《ちやくせん》して。南《みなみ》の御堂《みだう》の前《まへ》に借座敷《かりざしき》をとゝのへ。あるじは四季折々《しきをり/\》の草《くさ》ばな商《あきな》へる見世にして。これも心の慰《なぐさ》みなれる所とて。萬《よろづ》に氣《き》を着《つけ》。本立《ほんりう》も隨分《ずいぶん》ひそかに町ありきして。人しれず逗留《とうりう》いたせしに。右の子細《しさい》をしる人は無用《むよう》の沙汰《さた》しける ## (二)御堂《みだう》の太鼓《たいこ》打《うつ》たり敵《かたき》 惡事《あくじ》四十里をはしりふね。大坂の樣子《やうす》。阿波《あは》に聞《きこ》へて。鳴渡《なると》の波風《なみかぜ》もなく。磯貝《いそがい》藤介が方より人を仕立《したて》。東武《とうむ》にありし兵右衞門方へ文通《ぶんつう》せしに。此|状《じやう》貞享《でうけう》四のとし。五月十四日につきて。兵右衞門|内見《ないけん》して。其|夜《よ》身ごしらへせしに。舟越《ふなこし》九兵衞といへる浪人《らうにん》聞つけて。兼《かね》て語《かた》りしは。かゝる時の事なりと。助太刀《すけだち》の事たのもしく申を。色々《いろ/\》じたひ申せども。是非同道《ぜひどう/\》といひかゝつて。ひかざれば。よろこに兩《りやう》人のぼりしが。九兵衞|存知《ぞんじ》入の有とて。脇指《わきざし》ひとつになつて。家來《けらい》ぶんにて。道をいそぎ。二十四日に京都《きやうと》に入て。右の段《だん》を御郡代衆《ごぐんだいしゆ》へ御|斷《ことはり》申あげ。廿五日の朝《あさ》大阪へくだり着《つき》。成るほどひそかにたづね見廻《みま》はり。六月|朔日《ついたち》も藤介|阿州《あしう》を發足《はつそく》して。同二日に難波《なには》の船着《ふなつき》にあがり。兵右衞門藤介に出合《いであひ》。是はといさみをなし。兩《りやう》人|敵打《かたきうち》の御|帳《ちやう》に付《つい》て。首尾《しゅび》よく御|屋敷《やしき》罷立《まかりたち》てはや其日より。もしも人|立《だち》の所にあるべきかと。道頓堀《だうとんぼり》の芝居《しばい》の果《はて》を心がけ。壹人は嵐《あらし》三右衞門が木戸《きど》につき。又壹人は大和屋《やまとや》甚兵衞が表《おもて》に立《たち》。壹人は荒木《あらき》與次兵衞が追出《おひだ》し太鼓《たいこ》の鳴《なり》しまふまで。田舍《いなか》らしき人に氣《き》をつけ。あるひは笠《かさ》のうちに心《こゝろ》をくばり。出羽《では》義《ぎ》太夫が淨《じやう》るりのはてくち。又太夫が舞《まひ》を聞入。竹田《たけだ》がからくりの見物《けんぶつ》。甫水《ほすい》が太平記《たいへいき》をよめる所。其外|濱芝居《はましばい》の小見せ物。水茶《みづちや》屋の客《きやく》までを吟味《ぎんみ》して。それより寺社《じしや》の遊山《ゆさん》所を見めぐり。町筋《まちすぢ》の縱横《たてよこ》。人家《じんか》のすへ/゛\までも見わたしけるに。此|津《つ》の廣《ひろ》き果《はて》しなく。いつあふべきも定《さだめ》がたく。なを又|濱邊《はまべ》/\をさがし。御堂《みだう》の前《まへ》を通《とを》りけるに。物には天理《てんり》有。島川《しまかは》本立《ほんりう》。其日|國元《くにもと》にくだりぶね。幸《さいわ》ひの日和《ひより》。夕暮《ゆふぐれ》の風待《かぜまつ》人もありて。又|舟《ふね》よりあがり。同道《どう/\》三人に立《たち》かえりぬ。此ふね其まゝに出行《いでゆき》。國里《くにさと》に歸《かへ》り居《い》ば。時節《じせつ》を待《まつ》ともしれがたし。菟角《とかく》は道理《だうり》にせめられ立戻《たちもど》りしを。兵右衞門藤介ほのかに見付しが。しかとはいまだ極《きは》めがたく。殊更《ことさら》つれたる人々の迷惑《めいわく》をかへり見。足場《あしば》見合せけるに。借宿《かりやど》の花屋《はなや》がうちに入ぬ。いよ/\見定《みさだめ》て付《つけ》こみ。おどりあがりてよろこび。けふこそ恨《うら》みの晴《はら》し所なれ。すこしもせく事なかれ。爰《こゝ》は往來《うらい》のしげし。外の人にあやまちなきやうにと申合出るを待に。ひさしければ。旅宿《りよしゆく》にふんごみうつべきといふ。是も病人《びやうにん》をあはれみ。いましばらく待請《まちうけ》。大道《だいだう》にしてうつべきと。あなたこなたに立かくれ。とやかく内談《ないだん》をするを。近所《きんじよ》の町人《まちにん》ふしぎ立《たつ》るも有。さる小家《こいへ》に入て。我々《われ/\》は待《まつ》人あるよしいひて。水などもらひ。けふの暑《あつ》さをしのぎ。三人とも立替《たちかは》り/\樣子《やうす》見せなる草花《くさばな》に心《こゝろ》をよする風情《ふぜい》して。敵《かたき》はやがて凋《しを》るゝけしのごとし。我等《われら》はさかりの菖蒲太刀《しやうぶだち》。風に花をちらすべしと。おもふ心の色外《いろほか》に見えて。後《のち》には亭主《ていしゆ》もいな事とおもひ。目を付ぬれば。すこしまた南《みなみ》のかたへよげて。待《まつ》に日影《ひかげ》もしにかたふき。お八ツのしらせ太鼓《だいこ》うちければ。浮世《うきよ》をぬすみたる男《をとこ》。かしらは夏《なつ》の夜《よ》の霜《しも》をいたゞき。もじの肩衣《かたぎぬ》かけて行《ゆく》も有。嫁《よめ》のいやがる祖母《ばゝ》もひとつれに七八人づつ。置綿手拭《をきわたてぬぐひ》あふぎに珠數《じゆず》を持添《もちそへ》。後世《ごせ》の場《には》にも。座《ざ》をあらそひ。我《われ》おくれじといそぐ足《あし》をとおかし。これらは皆《みな》行先《ゆくさき》ちかく佛《ほとけ》を頼《たの》むも斷《ことはり》なり。若盛《わかざかり》の男《おとこ》の隙《ひま》ならば。あそび所も有に。無用《むやう》の御堂《みだう》まいり。子細《しさい》らしくは見へてから。僞《いつは》りのやうにおもはれける。世はさま/゛\と見しうちに。大勢《おふぜい》の中にまぎれて本立《ほんりう》もまいりける。三人|氣《き》をつけて。おさんだんなかばに。あまたの人を見わけしに。佛前《ぶつぜん》のをそれもなく。柿《かき》の夏《なつ》づきんをきたる。あたま。來迎柱《らいかうばしら》のじゆんにちろりと見へけるを。北の縁《ゑん》がはにまはりて。能よく見とゞけしに。島川《しまかは》太兵衞にまぎれなし。をの/\よろこび客殿《きやくでん》にまはり。御寺あづかりの人に右の内通《ないつう》して。さはぎ給はぬ心得のためを申せば。神妙《しんめう》なる附屆を感《かん》じける。さりながら御佛前にての事は御|用捨《ようしや》と。たのまれければ。其|段《だん》は請合《うけあひ》。然《しか》らば裏御門《うらごもん》はさしかためられ。門《もん》ひとつの出入と申けるに。其|段《だん》はまた請合《うけあひ》て。はやうらの門かためをかれぬ。三人は御|門前《もんぜん》の町《まち》に出《いで》。三方へ手分《てわけ》をせし。先《まづ》兵右衞門はひがしへの路筋《みちすぢ》あれば。其かどにひかへたり。藤介は北《きた》のかたの門をかため。九兵衞は南の門につきて。是ぞと待請《まちうけ》し有《あり》さま。天をかける鳥《とり》も。のがるべきやうなし。さあ。今はつるとこゝろうべき物なり。あなかしこの聲《こえ》きけば。惣立《そうだち》に人の山みゆる中に。本立《ほんりう》あみ笠《がさ》かぶり出るを。兵右衞門かけつけ。其方は島川《しまかは》太兵衞と見請《みうけ》たり。伯父《をぢ》の敵《かたき》やらぬぞと。言葉《ことば》をかくれば。本立《ほんりう》も聞《きゝ》もあへず。心得たりと。笠《かさ》ぬぎかけ。手《て》ばしかく。刀拔《かたなぬ》き合《あは》せて。わたしあひぬ。本立|身《み》がるく。天晴《あつぱれ》はたらきけれども。兵右衞門|利《り》の劍《けん》もつてひらひて。切込《きりこみ》兩方ともに。はや業《わざ》手をつくしてたゝかふ。時に本立あみ笠《がさ》の緒《を》。首筋《くびすぢ》にかゝりて。すこしははたらきの。じやまにもなりぬ。されども中《ちう》を飛《とぶ》ごとく。かひ/\しく切《きり》むすぶ所へ。藤介かけ寄《より》。切《きり》つけ是に大かた利《り》を得《ゑ》て。たゝみかけて切立《きりたて》ける。時に所の町人おどろき。商賣《しやうばい》の見世《みせ》。戸《と》をさし騷《さは》ぐ。九兵衞是に下知《げち》して。さはぎ給ふな。敵《かたき》うち成ぞ。只今《ただいま》首尾《しゆび》よく。うちとめたるを。をの/\見物《けんぶつ》し給へと。扨《さて》も落付《おちつき》たる男《をとこ》なり。其内に太兵衞を切《きり》ふせ。心靜《こゝろしづか》に。とゞめをさし。其身を見《み》れば深手淺手《ふかであさで》二十一ヶ所。さりとは是まではたらき。六月三日の入相《いりあひ》の鐘《かね》の御堂《みだう》のまへの花《はな》は散《ちり》けると詠《なが》めし。兵右衞門は今年《ことし》二十六|才《さい》血氣《けつき》さかんの時を得《ゑ》たり。藤介は十八|才《さい》。前髮《まへがみ》ざかしの美兒《びしやう》。薄手《うすで》のちしほを自《みづから》ぬぐひ。太刀《たち》を杖《つゑ》につきながら。腰掛《こしかけ》にやすらひ三|人《にん》貌《かほ》を見合《みあはせ》。息《いき》をつぎて。禮義《れいぎ》のべ。諸事《しよじ》のつめひらき見るさえ武士《ぶし》の本意《ほんい》といさめば。其身も嬉《うれ》しさかぎりもなく。先は町に入て養生《やうじやう》いたしぬ。藤介《とうすけ》一ヶ所。兵右衞門は五ヶ所の疵《きづ》。平|癒《ゆふ》して當分《たうぶん》何の子細《しさい》もなく高野《かうや》の方へ立ける ## (三)松風斗《まつかぜばかり》や殘《のこ》るらん脇指《わきざし》 人の心ざしほど各別《かくべつ》。違《ちが》ひ有物はなし。信長公《のぶながこう》の御時。すのまたの川屋敷とて。夏《なつ》を棟《むね》とつくらせられ。風の松|涼《すゞ》しく。御かよひ舟。御|寢間《ねま》のほとりまでさし入。御|物好《ものずき》のおもしろく。絹《きぬ》もぢの障子《しやうじ》の中に。京女﨟《きやうぢよらう》のうつくしきを。あまためしよせられ。折節の御|遊興《ゆうけう》所にあそばしける。中にも月の夜。雪の夜とて。二人の女郎《ぢよらう》。美形《びけい》によつて。ひとしほ御ふびんのかゝり。兩《りやう》の御手に花紅葉《はなもみぢ》の御てうあひ。春秋《しゆんじう》も是ゆへ。御|樂《たの》しみ深《ふか》かりき。是をおもふに兩《りやう》人|姿《すがた》をあらそひ。御|奉公《はうこう》。仕《し》がちの心も有べき事なるに。世間《せけん》とは各別《かくべつ》の事にして。中々御|機嫌《きげん》よろしきを。はぢあひ給ひ。殿たびかさなりて。御入ましませば。俄《にはか》に作病《さくびやう》して。雪の夜は。風そう/゛\しく申上れば。是をいたはり給ひ。月の夜に入せ給ひ。明暮御前《あけくれごぜん》よろしければ。身にさはりあるなどを申て取籠《とりこも》り。わざと御|機嫌《きげん》をそむき。兩人ともに同じやうに。年をかさねて。御奉公をつかふまつる。女のかゝる事はためしもなき心底《しんてい》。前代未聞《ぜんだいみもん》の名女《めいじよ》なり。流石《さすが》俗性《ぞくしよう》いやしからず。雪《ゆき》の夜《よ》は。西國《さいこく》の國主《こくしゆ》のむすめ。月の夜《よ》はさる貴人《きにん》の息女《そくぢよ》なるが。二人ともに子細《しさい》あつて。町人の子分《こぶん》に成て。御|奉公《はうこう》には出られしとなり。是をみるに。筋目《すぢめ》ほどはづかしきはなし。いやしき者の娘《むすめ》は。無用《むやう》のりんきに。我氣《わがき》をなやまし人の身をいため。又世のくるしみもかまはず。惡心|胸《むね》に絶《たへ》ず。これらは。なさけをかけても。うるさき所あり。又松風《まつかぜ》とて尾刕《びしう》鳴海《なるみ》あたりの濱里《はまさと》に獵人《りやうし》のむすめなるが。浦《うら》そだちには。めいようるはしく。古代須磨の蜑《あま》の松風の女にはをとるまじき風義《ふうぎ》なれば。いやしくも御《ご》前勤めを望《のぞ》み。是も川屋敷《かはやしき》に有しが。ちかくはめされながら。つゐに御|枕《まくら》をなほさぬ事を恨《うら》み。菟角|雪《ゆき》の夜。月の夜が。あしくも。申しての事ならんと。女心に思ひこみ此二人をねらひ。時節《じせつ》待《まつ》うちに。年めづらしき明《あけ》ぼの御|謠初《うたひそめ》。二日の夜《よ》。又|川屋形《かはやかた》に御|成《なり》とて。島臺《しまだい》かざりて。御酒宴《ごしゆゑん》かさなり。女中もつねよりは。さゝすごして。前後《ぜんご》しらざりき。松風|今宵《こよひ》とおもひ定《さだ》め。萩《はぎ》の戸《と》のかげにて身をかため。うちかけ姿《すがた》は人|並《なみ》に。國《くに》づくしの間《ま》に居《い》ながれて。夜《よ》のふけうく首尾《しゆび》うかゞひけるに。此女の立ふるまひ。ともし火の影《かげ》に見させられ。局《つぼね》がしらの梅垣《むめがき》をひそかにめされ。あの菊《きく》ながしの衣裝《いしやう》の女《をんな》。懷中《くはいちう》に子細《しさい》あり。とらへて僉議《せんぎ》仕れとの上意を請て。松風といへる女を。はた/\と取まき。懷中《ふところ》をさがしけるに。あんのごとく肌刀《はだがたな》をさして有。是は曲者《くせもの》なり。いかなる存念《ぞんねん》あつて。かく御|吟味《ぎんみ》の御前《ごぜん》へ刄《は》物はさし給ふぞ。是非《ぜひ》いはせずしてはおかじ。身の難義《なんぎ》にあひ給はぬさきにと。いろ/\せめても。無念《むねん》とばかりいひて。中々申さるゝ氣色《けしき》はなし。是にはやうす有べしと。此女のつぼねをさがして見しに。みだれ箱《ばこ》にうち入て書置《かきおき》あり。次第をせんさくすれば。月の夜雪の夜。ふたりの女﨟にうらみをふくみ。命《いのち》をとるべきおもひ立。さりとはをそろしき女と沙汰《さた》極《きはま》りて。みせしめのため。御仕|置《をき》になりぬ。是我心からの惡事《あくじ》にて一命を捨《すて》ける。其後|彼《かの》女の執心《しうしん》かよひて。人をなやませ。女中は難病《なんびやう》請《うけ》て。是を歎《なげ》きぬ。いづれの女﨟《ぢよろう》にも額《ひたい》に。鹿《しゝ》の袋角《ふくろづの》のやうなる物|生出《をいいで》。美形《びけい》おかしげに成て。外科《げくは》本道も傳《つた》へ聞たるためしもなく。此|療治《りやうぢ》にあぐみぬ。表向《おもてむき》の番組《ばんぐみ》の役人《やくにん》はのこらず。取ころされて。其後はひさしく明屋敷《あきやしき》にあそばされ置《をか》れしに。有|時《とき》仰出《あふせいだ》されしは。此川屋敷のうちに。一夜を明《あか》して。見てまいれと。世にかくれなき。ぶへん者《もの》。大平丹藏《あふひらたんざう》といへる男と。まぎれもなき。おくびやう者《もの》。柳田《やなだ》久六。此二人を同役《どうやく》に仰付《あふせつけ》られ。申合て一|夜《や》をつとめしに。彼《かの》松風の女むかしの形《かたち》は。貌《かほ》ばかりにのこし。身は三|丈《じやう》あまりの蛇體《じやたい》となつて。二人にとりかゝれば。久六は前後《ぜんご》忘《ぼう》じて死入《しにい》りけるに。丹藏《たんざう》くみふせて。正《まさ》しくとらへたりしが。其まゝ消《きへ》てなかりき。其|跡《あと》に松風が小脇《こわき》ざしありて。是をしるべに兩人《りやうにん》立歸り。御前へ右のだん/\言上《ごんじやう》申せば。ご|機嫌《きげん》よろしく。手柄《てがら》せし丹藏に。千石の御|加増《かぞう》。又|死入《しにい》りたる久六に。千五百石御加増くだし給はれば。御年寄中此|上意《じやうい》をがつてんつかまつらぬやうだい御|覽《らん》あそばし。丹藏《たんざう》は是ほどの義《ぎ》。仕りかねまじき者《もの》なり。又久六は兼《かね》てしれたる臆病《おくびやう》男。主命《しゆめい》をおもんじ。一夜を勤《つと》め死《しな》ずに歸る事。丹藏《たんざう》にはましたるぶへんものと。仰せられけると也。其後は此御|屋形《やかた》子細《しさい》なく女中の難病《なんびやう》もつねの面《おもて》に成ぬ。 ## (四)我《わが》子をうち替手《かへで》 丹後《たんご》のきれとの文珠《もんじゆ》に廿五日のあけぼのより。國中《こくちう》うつして參詣《さんけい》す。爰《こゝ》に大代《あふしろ》傳《でん》三郎一|子《し》に傳之介十五|歳《さい》に成しが。小者《こもの》一|人《にん》めしつれて詣《まう》でける。かゝる折ふし。同《おな》じ家中《かちう》に新座者《しんざもの》七尾《なゝを》久八郎といへる人の子に。八十朗と申せしは今年《ことし》十三才なりしが。是も草履取《ざうりとり》一人つれて。此所はじめてなれば。浦《うら》めづらしく天《あま》の橋立《はしだて》の松の葉越《はごし》に。月|夕影《ゆふかげ》うつるまで。あなたこなたを詠《なが》めめぐりて。立歸る折ふし。傳之介に袖すれて。たがひに鞘《さや》とがめして。ぬき合せ。はなやかに切むすび。八十朗|首尾《しゆび》よく傳之助をうちとめ。前後《ぜんご》を見合せ。立のきける。兩方《りやうはう》の小者は。あひうちして。むなしくなりぬ。傳之介|親《をや》これを聞つけ。其所に行て。せんさくするに相手《あいて》の行方しれず。小者《こもの》も夜中なれば。見分《みわけ》がたく先傳之介|死骸《しがい》を取かくしける。八十朗は屋敷に歸り。親《をや》にはじめを語《かた》れば。是まで歸《かへ》る所にあらず。最後《さいご》の覺悟《かくご》仕れと書状《しよじやう》添《そへ》て八十朗を乘物《のりもの》にて。傳三郎方へつかはし。此ものそれにて。何《いか》やうにも御こゝろまかせと申入。傳三郎|請取《うけとり》先《まづ》座敷《ざしき》に置《をけ》ば。八十朗が敵《てき》とよろこび。母親《はゝをや》長刀《なぎなた》をつとりかけ寄《よる》を。傳三郎|押《をさ》え。あれより見事につかはしけるを。むざ/\とうつべき子細《しさい》なし。ことに我子《わがこ》は十五|歳《さい》。是は十三にて武道《ぶだう》も各別《かくべつ》にまされば。申し|請《うけ》て此|家繼《やつぎ》にすべし。是|同心《どうしん》ならずば。其方|離別《りべつ》といはれて。男にしたがふ女心。傳三郎よろこび。段々《だん/\》御|願《ねが》ひ申上れば。ためしなきしかた。大望《だいもふ》にまかせ。八十朗を傳《でん》三郎にたまはり。親子《をやこ》のむすびをなせば。母《はゝ》にも孝《かう》をつくりまことの親には二たび。おもてを見あはす事もなく。傳之介と名《な》もあらためて。日毎《ひごと》に武《ぶ》の道《みち》に心ざし深《ふか》く。成人《せいじん》の後《のち》傳三郎|娘《むすめ》とあはせ。むかしの恨《うら》みなくて。母《はゝ》もこれにふびんをかけて。大代《あふしろ》の家《いへ》を繼《つぎ》て名《な》をのこしぬ # 武家義理物語《ぶけぎりものかたり》 卷三 ##       目録《もくろく》 一 發明《はつめい》は瓢箪《ひやうたん》より出る        今の世に油斷のならぬ物は出家《しゆつけ》        言葉《ことば》とがめは浪《なみ》に聲《こえ》有事 二 約束《やくそく》は雪《ゆき》の朝食《あさめし》        加茂《かも》山の片《かた》かげに隱者《いんじや》有        むかしの友の身上|咄《はな》しの事 三 具足《ぐそく》着《き》て是見たか        物の氣《き》にかゝるは病中《びやうちう》の床《とこ》        陣立《ぢんだて》の物語《ものがたり》いさきよき事 四 思ひ寄《よら》ぬ首途《かどで》の聟《むこ》入        親父殿《をやぢとの》にけいやくの娘《むすめ》        執心《しうしん》かよひて助太刀《すけだち》打《うつ》事 五 家中《かちう》に隱《かくれ》なき蛇《くちなは》嫌《ぎら》ひ        せまじきは武士《ぶし》の座興《ざけう》        極《きは》めては世におそろしき物なき事 ## (一)發明《はつめい》は瓢箪《ひやうたん》より出る 近代《きんだい》は武士《ぶし》の身持《みもち》。心のおさめやう。格別《かくべつ》に替《かは》れり。むかしは勇《ゆう》を專《もつぱ》らにして。命《いのち》をかろく。すこしの鞘《さや》とがめなどいひつのり。無用《むやう》の喧嘩《けんくは》を取むすび。其場《そのば》にて打はたし。或《あるひ》は相手《あいて》を切《きり》ふせ。首尾《しゆび》よく立《たち》のくを。侍《さふらひ》の本意《ほんい》のやうに沙汰《さた》せしが。是ひとつと道《みち》ならず。子細《しさい》は。其主人《そのしゆじん》。自然《しぜん》の役《やく》に立《たて》ぬべしために。其|身《み》相應《さうをふ》の知行《ちぎやう》をあたへ置《をか》れしに。此|恩《おん》は外になし。自分《じぶん》の事に。身《み》を捨《すつ》るは。天理《てんり》にそむく大|惡《あく》人。いか程の手柄《てがら》すればとて。是を高名《かうみやう》とはいひがたし。御代《みよ》靜《しづか》なる江戸|詰《づめ》の西國大名《さいこくだいみやう》の家中《かちう》に。竹島氏《たけしまうぢ》の何《なに》がし。瀧津氏《たきつうぢ》の何《なに》がし。此|兩人《りやうにん》一|所《しよ》に御|役《やく》。首尾《しゆび》よく勤《つとめ》て。生國《しやうこく》に歸《かへ》り。道中《だうちう》申合て。たがひに機嫌《きげん》よく。日をかさね。三州岡崎《さんしうおかざき》の泊《とま》りの夕暮《ゆふぐれ》。水風呂《すいふろ》をたかせ。二人ともに入|仕舞《しまい》。明衣《ゆかた》を着《き》ながら。折《をり》ふしの暑《あつ》さ。しばし端居《はしい》して涼《すず》み。瀧津氏《たきつうぢ》の人。鼻紙《はながみ》喰《くひ》さきて。灸《きう》の蓋《ふた》をこしらへ。慮外《りよぐはい》ながら。是ひとつ腰《こし》へと頼む竹島氏《たけしまうぢ》。其蓋《そのふた》をしてやる時。すこしの疵《きず》を見付。何心もなく是|逃疵《にげきず》かといふ。いかに心やすくても。武士《ぶし》はいふまじき事なり。瀧津氏《たきつうぢ》是を氣《き》にかけて此|疵《きず》は先年《せんねん》狩場《かりば》のはたらきにて。かくは成けれども。其|證據《しやうこ》なければ是非《ぜひ》なし。菟角《とかく》國元《くにもと》にくだり着《つき》。其|時分《じぶん》療治《りやうぢ》いたせし外科《げくは》をよびて。一|通《とほ》り申。其《その》うへにて打果《うちはた》せば濟《すむ》事なりと。心中《しんちう》を極《きは》め。其|色《いろ》見《み》せず。道《みち》を急《いそぎ》。伏見《ふしみ》の濱《はま》に着《つき》て。番所《ばんどころ》に斷《ことはり》申。五十石|舟《ふね》を借《かり》きり。荷物《にもつ》あらためさせて。舟を出せといふ所へ。六十ばかりの侍《さふらひ》。十二三の美兒《びしやう》をつれて。此舟に乘《のり》たしといふ。船頭《せんどう》かし切《きり》といへば。殘念《ざんねん》の貌《かほ》つきして。彼《かの》子が手を引|歸《かへ》る有さま。いかにしても見かねて。迚《とて》も先《さき》の間《ま》は明《あい》て有なれば。乘《のせ》てしんじませいといふ。船頭《せんどう》酒手《さかて》とよろこび。座をこしらへて乘《のせ》けるに。又三十ばかりの旅僧《りよそう》ゆたん包《づつみ》を提《さげ》て。此舟見かけてはしりくるを。是も情《なさけ》にて乘《のせ》ければ。出家侍《しゆつけしゅらひ》二人ともに。數々《かず/\》のお禮《れい》を申つくし。廣《ひろ》き所に自由《じゆう》にかり枕《まくら》をよろこぶ。やう/\淀《よど》の小橋《こばし》を過《すぎ》。水車《みづぐるま》の夕波《ゆふなみ》おもしろく。是を肴《さかな》にして吸筒《すいづつ》取出《とりだ》し。二人さし請《うけ》もせはしければ。後《のち》に乘《のせ》たる兩《りやう》人も呼びませて。酒《さけ》事おかしく成ぬ。彼少人小謠《かのせうしんこうたひ》。出家《しゆつけ》も座興《ざけう》にはやりぶしの小|歌《うた》ひとしほ慰《なぐさ》みと成。其後《そののち》深《ふか》くともし火の影《かげ》にして。なを汲《くみ》かはし。いつとなく。大盞《たいさん》になし。瀧津氏《たきつうぢ》の人にまはれば。いかな/\是ではならぬと立のかれしに。竹島氏《たけじまうぢ》袖《そで》をひかへ。又|迯《にげ》給ふかといはれければ。此|言葉《ことば》聞とがめ。最前《さいぜん》岡崎《おかざき》にて。にげ疵《きず》といひ。今又|堪忍《かんにん》ならずと。刀《かたな》ひつさげ立《たち》かゝる。竹島《たけじま》こゝろえたりと。そばに置《おき》し刀《かたな》を取《とる》になかりき。瀧津《たきつ》しばらく待《まち》て。刀《かたな》見《み》えぬとはふしぎなり。心|靜《しづか》にたづね給へ。それまでは相待《あひまつ》といふ。色々《いろ/\》僉議《せんぎ》するに。いよ/\見えぬに極《きはま》りければ。竹島《たけじま》覺悟《かくご》して。是|武運《ぶうん》のつき。一|分《ぶん》の立《たゝ》ぬ所なれば。相手《あひて》取までもなしと。自害《じがい》をまづさし留《とめ》。後《のち》にのりたる侍《さふらひ》の申せしは。此|刀《かたな》の有所。それがしのすいりやう大かたは違《たが》ふまじ。私《わたくし》の望《のぞ》みに申す所《ところ》聞入《きゝい》れ給はらば。其|刀《かたな》出させ申べしといへば。竹島《たけじま》は元《もと》より瀧津氏《たきつうぢ》も御|差圖《さしづ》はもれじと。誓言《せいごん》にて申ける。其|刀《かたな》是なる出家《しゆつけ》が盜《ぬすみ》たるといへば。氣色《きしよく》をかへて。へうたんを取出し。山椒《さんせう》をつみける。其瓢箪《そのへうたん》ありや。ないにをいては。をのれと。せんぎつめられ。折《せつ》なく川|中《なか》に飛込《とびこみ》。をのれと自滅《じめつ》いたせり。既《すで》に其|夜《よ》も明《あけ》て。舟さしもどし。瀬々《せゞ》見渡《みわた》し行《ゆく》に。鵜野《うどの》のかれ蘆《あし》の中に。ちいさきひやうたん浮《うき》て。流《なが》れもあえず。見えけるを是ぞと取あげしに。刀《かたな》のうけに付て酒《さか》もり半《なかば》に沈《しづ》め置《をき》しと見えたり。人の氣《き》のつかぬ所をさりとは名譽《めいよ》の勘者《かんじや》と。彼侍《かのさふらひ》の事を感じける。彼《かの》さむらひ最前《さいぜん》刀《かたな》出たらば頼《たの》むと申|願《ねが》ひは兩《りやう》人の中事と首尾《しゆび》能《よく》して別れける ## (二)約束《やくそく》は雪《ゆき》の朝食《あさめし》 石川《いしかは》や老《をい》の浪立影《なみたつかげ》ははづかしと讀捨《よみすて》。今の都《みやこ》もうき世と見なし。賀茂《かも》山に隱《かく》れし。丈山坊《じやうざんぼう》は。俗性歴々《ぞくしやうれき/\》のむかしを忘《わす》れ。詩歌《しいか》に氣《き》を移《うつ》し。其徳《そのとく》あらはるゝ道者《だうしや》なり。さるによつて。心にかなふ友《とも》もなし。有時|小栗《おぐり》何がしといへる人。是もへつらふ世を見限《みかぎり》。かたちを替《かへ》て。京都《きやうと》にのぼり。東武《とうぶ》にてしたしく語《かた》りしゆかしさに。この草庵《さうあん》にたづねて。すぎにし事ども。今の境界《きやうがい》の氣《き》散《さん》じたる身の程。心にかゝる山の端《は》もなく。梢《こずへ》は落葉《おちば》して。冬氣色《ふゆげしき》のあらは成。月を南《みなみ》おもての竹椽《たけえん》に。つゐ居詠《いながめ》ながら語《かた》りしが。此|客《きやく》何となく。風斗《ふと》立《たち》て。我《われ》は備前《びぜん》の岡山《をかやま》に行《ゆく》事有といふ。今宵《こよひ》は是にと留《とめ》もせず。勝手次第《かつてしだい》と別《わか》れさまに。又《また》いつ比《ころ》か京歸《きやうがへ》りと聞《きけ》ば。命《いのち》あらば。霜月《しもづき》のすへにといふ。然《しか》らば二十七日は我《わが》心ざしの日なれば。是にて一|飯《ぱん》かならずと約束《やくそく》して。立行《たちゆき》ぬ。兩《りやう》人ともに世を捨《すて》し。心のまゝなるは朝《あした》を待《ま》たぬ。旅衣《たびごろも》。露《つゆ》を肩《かた》に結《むす》び。枯野《かれの》枯葉《かれは》の藤《ふぢ》の森《もり》に成時《なるとき》。海道《かいどう》つゞきの人家《じんか》寢《ね》しづまりて。伏見《ふしみ》戻《もど》りの馬《むま》かたの聲《こゑ》絶《たへ》て。竹田寺《たけだじ》の半夜《はんや》の鐘《かね》の鳴時《なるとき》。丈山《じやうざん》其人の跡《あと》をしたひて。しる谷越《たにごへ》にいそがれしに。神無月《かみなつき》八日の夜《よ》の月かすかなる。松陰《まつかげ》より人の足音《あしをと》せはしきに立とまりて。丈山《じやうざん》かといへば。いかにもみをくりに是までといひけるに。都《みやこ》に友《とも》もあまたなれど。心《こゝろ》ざしは其方《そのはう》ならではあらじと立ながら暇乞《いとまごひ》して別《わか》れに。其後|備前《びぜん》に着《つき》し。たよりもなく。日數《ひかず》ふりて。十一月二十六日の夜《よ》降《ふり》し大雪《あふゆき》に。筧汲《かけひくむ》べき道《みち》もなければ。また人|貌《かほ》の見えぬ曙《あかつき》に。丈山《じやうざん》竹|箒《はふき》を手づからに。心はありて心《こゝろ》なくも。白雪《しらゆき》に跡《あと》を付て。踏石《ふみいし》のみゆるまでとおもふ折ふし。外面《そとも》の笹戸《さゝど》を音信《をとづれ》し。嵐《あらし》の待つかなど聞耳《きゝみゝ》立《たつ》るに。正《まさ》しく人|聲《ごゑ》すれば。明《あけ》わたる今|小栗《をぐり》何《なに》がし。たづねきたるに其さま破紙子《やぶれかみこ》ひとつまへ門に入より編笠《あみがさ》ぬぎて。たがひの無事を語《かた》りあひ。しばらくありて。此たびは寒空《さむそら》に何《なに》としてのぼり給ふぞといへば。そなたはわすれ給ふか。霜月《しもづき》廿七日の一|飯《ぱん》たべに。まかりし。それよ/\と俄《にわか》に木葉《このは》燒付《たきつけ》。柚味噌《ゆみそ》ばかりの膳《ぜん》を出せば。喰仕廻《くひしまふ》て。其箸《そのはし》も下に置《をき》あへず。又|春《はる》までは備前《びぜん》に居《い》て。西行《さいぎやう》が詠《なが》め殘《のこ》せし。瀬戸《せと》のあけぼの唐琴《からこと》の夕暮《ゆふぐれ》。晝寢《ひるね》も京よりは心よしとて。取いそぎてくだりぬ。扨は此人|日外《いつぞや》かりそめに申しかはせし言葉《ことば》をたがへず。今朝《けさ》の一|飯《ぱん》喰《くふ》ばかりに。はる/゛\の備前より京までのぼられけるよと。むかしは武士《ぶし》の實《まこと》有心底を感《かん》ぜられし ## (三)具足《ぐそく》着《き》て是見たか 武士《ぶし》は人をあなどる詞《ことば》。かりにもいふまじき事ぞかし。有時《あるとき》島原《しまばら》の後陣《ごぢん》を。西國《さいこく》の大名《だいみやう》に仰付《あふせつけ》させられ。人數《にんじゆ》を揃《そろ》へられしに。五十五|歳《さい》より老《らう》人。十五|以下《いか》の少《せう》人は。赦免《しやめん》有て。此|外《ほか》物忌《ものいみ》。病《びよう》人は格別《かくべつ》。殘《のこ》らず出陣《しゆつぢん》の御|供觸《ともふれ》有しに。爰《こゝ》に中小姓《ちうごしやう》。四人|同《おな》じ部屋住《へやずま》ひして。勤《つと》めし。中に壹人|長病《ちやうびよう》にて。けふをうき世のかぎりと見えしが。いづれもいかめしく軍立《いくさたち》の用意《やうい》とて。いさむを聞て。たよりなき枕《まくら》をあげて。我此節《われこのせつ》かく煩《わづらひ》けるは。武運《ぶうん》のつきし所なり。先祖具足《せんぞぐそく》は讓《ゆづ》りをかるゝ。鑓《やり》一|筋《すぢ》ひつさげて。天晴《あつぱれ》御|馬《むま》のさきに立。御|目通《めどを》りにて。高名感状《かうみやうかんてう》取べき。此たび扨《さて》も/\口惜《くちをし》やと。此事いひもやまざれば。をの/\耳《みゝ》かしましく思ひながら。一|所《しよ》に住《すめ》ば是を聞《きか》ぬ貌《かほ》もなりがたく。今もしれぬ病人《びようにん》の無用《むやう》の願《ねが》ひいはれずとも。息のかやふうちに。念佛《ねんぶつ》申。後世《ごせ》の一大事を心がけ給《たま》へ。具足《ぐそく》は重《おも》き物なれば。是|着《き》て死出《しで》の山越《やまこへ》御|太義《たいぎ》なり。かるき經帷子《きやうかたびら》を着《き》給へと。三人|小語《さゝやき》て笑《わら》へるを聞て。いよ/\無念《むねん》かさなり。今一たびの命《いのち》を。諸神《しよじん》に立願《りふぐはん》せしに。不思議《ふしぎ》に快氣《くはいき》して。手《て》もはたらき足《あし》も立程《たつほど》になりぬ。時に日外《いつぞや》の遺恨《ゐこん》やめがたく。段々《だん/゛\》筆《ふで》に殘《のこ》し。具足甲《ぐそくかぶと》を着《き》ながら。鑓取《やりとり》まはして。相手は三人《さにん》と名乘《なのり》かけ鎧着《よろひき》ながら。死出《しで》の首途《かどで》といへば。皆々《みな/\》是非《ぜひ》なく。ぬき合《あは》せとも。おもひ込《こみ》たる一|念《ねん》の鑓先《やりさき》。島原《しまばら》に行《ゆき》ての働《はたら》きみせんと。三人ともに突留《つきとめ》。其|死骸《しがい》のうへに腰をかけて。いさぎよき自害《じがい》。書置《かきをき》の子細《しさい》。道理至極《だうりしごく》に沙汰《さた》して。此人を惜《をし》みぬ。さる程に三人は雜言《ざうごん》ゆへに。あたら身をうしなひ。大事の前《まへ》の用に立《たゝ》ずと是を笑《わら》ひける ## (四)思ひ寄《よら》ぬ首途《かどで》の聟《むこ》入 治《をさま》る國《くに》の守《かみ》の弓大將《ゆみだいしやう》に。隼人《はやと》といへる有。又|鐵炮大將《てつぽうだいしやう》に外記《げき》といへる有。此|兩《りやう》人|當番同日《たうばんどうにち》にて語《かた》りあひ。をのづからしたしくなりぬ。ある時隼人《はやと》煩《わずら》ひて。代番《だいばん》頼《たの》み。引籠《ひきこもり》しに。外記《げき》はる/゛\の屋敷《やしき》より。病中《びようちう》の見舞《みまひ》たび/\なり。此心ざし嬉《うれ》しくおもふ折ふし。又|雨風《あめかぜ》はげしき夕暮《ゆふぐれ》に。玄關《げんくはん》に來《き》て。けふの機嫌《きげん》のほどをたづねられしに。此事|奧へ申|通《つう》じけるに。幸《さいわい》氣分《きぶん》もすぐれ。はじめて枕《まくら》をあげ。病居《びようきよ》もあらため。友《とも》なつかしき時成に。外《ほか》よりひとりも問《とは》ねば。ひとしほ淋《さび》しく。其《その》御かた。御|目《め》にかゝりたき。斷《ことはり》申。内證迄通《ないしやうまでとを》し。御|見舞《みまひ》の一|禮《れい》申のぶれば。氣色《きしよく》の樣子《やうす》。念比《ねんごろ》に聞合《きゝあはせ》。すへ/゛\養生《やうじやう》の身もち迄《まで》申されければ。隼人《はやと》よろこび。勝手《かつて》口の杉戸《すぎと》あけさせ。妻女《さいぢよ》呼《よび》出し外記《げき》に面《おもて》をあはさせ親類《しんるい》のかたらひ。同前《どうぜん》になりぬ。心の闇《くら》からぬ武家《ぶけ》のつきあひ潔《いさぎよ》し。南《みなみ》をうけてあかり窓《まど》のもとに。藥鍋《くすりなべ》かけて。十四五と見へし娘《むすめ》其さま艶《ゑん》なるうちかけ小袖《こそで》。ゆたかに顏形色《かほかたちいろ》づくるゝもなく。美女《びぢよ》に生《うま》れつきたる。手《て》づから火箸《ばし》取《とり》まはし。せんじやうつねのごとくかと。年寄《としより》たる女にたづねられし。物ごしのやさしく。あまた見へわたりて腰《こし》もとづかひも有に。是は大事《だいじ》と。孝《かう》をつくせし心ばせを見|請《うけ》。娘《むすめ》の子も又ありたき物ぞ。病家《びようか》のあつかひは是ぞと。殊勝《しゆせう》に頼母《たのも》しくおもはれ。又|戸《と》をさして。外には人なく只《たゞ》ふたり。世の事ども病氣《びようき》にさはらぬ咄《はな》しの次手《ついで》に。外記《げき》は息女《そくぢよ》の事をうらやみ。私《わたくし》は男子《おとこ》ばかり三人まで持《もち》けるが。此内壹人|娘《むすめ》ならば女房《にうばう》どもが言葉《ことば》にたよりにも成ぬべき物をといへば。隼人《はやと》聞《きゝ》て。世はかならずおもふまゝならず。我等《われら》は只今《たゞいま》の姉《あね》にして娘《むすめ》ばかり四人有。女の子御|望《のぞ》みならば。奧《をく》の御|茶《ちや》のかよひに。やとはせ置《をく》べし。琴《こと》を好《すき》。歌《うた》をよむなどいひて。京《きやう》たよりに中院殿《なかのゐんどの》へつかはしける。雀小弓《すずめこゆみ》。名譽《めいよ》に一|筋《すぢ》よもはずさず。女《をんな》のいらざる四書《ししよ》までも讀《よみ》て。此《この》ほどは古文聞《こぶんきゝ》に。氣《き》をつくしける。すこし娘自慢《むすめじまん》なれども。何がさて。こなたへならばといへば。外記《げき》淺《あさ》からず。悦喜《ゑつき》しからばわたくしの惣領《そうりやう》龜之進《かめのしん》。十九に罷《まかり》なれば。向後《けうかふ》御|自分《じぶん》の子と。覺《おぼ》しめし。くだされと。外《ほか》には聞《きく》人もなく。祝言《しうげん》いひかはして。屋敷《やしき》にかへりぬ。外記《げき》内證《ないしやう》へは。いまだ是を語《かた》らず。其|明《あけ》の日の夜半《やはん》に。同役《どうやく》の方《かた》に宵《よひ》よりはなし居《い》て歸《かへ》るを門《もん》の片陰《かたかげ》に三四人|立忍《たちしの》び。兩方《りやうはう》より。まん中に取込《とりこめ》。聲《こえ》をもかけず。闇打《やみうち》。外記《げき》こゝろえて。ぬきあわせ。四人を相手《あいて》にしばし切《きり》むすぶに覺悟《かくご》にあらねば。初太刀《しよたち》にいたみ。三人までに手《て》は負《をふ》せしが。終《つい》によはりてうたれぬ。供《とも》は小坊主《こぼうず》なれば。屋形《やかた》にはしりて。此事しらせける。龜《かめ》之|進《しん》。刀《かたな》ひつ提《さげ》追《をつ》かけしに。はや行方しれず成にき。しかも道筋《みちすぢ》四つにわかれる辻《つじ》の事なれば。さま/゛\にまよひて。先《まづ》脇道《わきみち》の根笹《ねざさ》を分《わけ》て身をもみ。二十町あまりもたづねしに。人|影《かげ》もなくて。無念《むねん》の胸《むね》をしづめて立《たち》歸り。此|打手《うちて》を僉議《せんぎ》するに。外記《げき》軍法《ぐんぽう》の弟子《でし》に。牢人《らうにん》有しが。おのれがはげみうすく同學《どうがく》の者《もの》に極意《ごくい》ゆるされしを恨《うら》み。同《おな》じ惡人《あくにん》をかたらひ。師《し》をうつてのく。天命《てんめい》何國《いづく》にかのがるべしと。身をもだへて進めと。心にまかさぬ主命《しゆめい》なれば。敵《かたき》うちたき願《ねが》ひ申あげしに。首尾《しゆび》よく御|暇《いとま》を下し給はり本意《ほんい》とげての節。先知《せんち》相違《そうい》なしと老中《らうぜう》仰《あふ》せわたされ。上意《じやうい》有がたく。御前《ごぜん》を罷立《まかりたち》。屋形《やかた》にかえらず。母《はゝ》の義《ぎ》は親類《しんるい》に頼《たの》み殘《のこ》し。其身《そのみ》は達者《たつしや》なる家來《けらい》一人めしつれ。外《ほか》よりの助太刀《すけだち》をさし留《とめ》。生國《しやうこく》和州《わしう》を立《たち》出る時。隼人《はやと》病氣《びようき》の用捨《やうしや》なくかけつけ。いひわたする子細《しさい》有とて。我屋敷《わがやしき》へ龜之進《かめのしん》を申入。其方《そのはう》はしり給ふまじ。御|親父《しんぷ》とけいやくしての乞聟《こひむこ》なり。貴殿《きでん》女房《にうばう》は。目出《めで》たふ歸宅《きたく》有まで。此方にあづかり置《をく》と。娘《むすめ》よび出して。夫婦《ふうふ》の盃《さかづき》事をさせて。關和泉守《せきいづみのかみ》の刀《かたな》。一|腰金子《こしきんす》百|兩《りやう》はなむけして。心よく暇乞《いとまごひ》して別《わか》れぬ。兼《かね》ての約束《やくそく》人はしらざりしに。此時にいたつて隼人《はやと》の心底《しんてい》を感《かん》じける。龜之進《かめのしん》は。諸國《しよこく》をしのびめぐりて。二とせ過《すぎ》ての彌生山《やよひやま》。江州《こうしう》の浦里《うらざと》に身を隱《かく》して。ある夜是を付《つけ》出し。名乘《なのり》かけて切込《きりこむ》。つね/゛\覺悟《かくご》して浪人《らうにん》五六人|有合《ありあはせ》。又すけ太刀《だち》すれば。龜之|進《しん》あやうく請太刀《うけだち》に成て。武運《ぶうん》のつきと口惜《くちをし》き時。相手《あいて》ふしぎや後髮《うしろがみ》ひかれて。殘《のこ》らず打とめ。本人が首器物《くびうつは》に入て。本國《ほんごく》に歸《かへ》りぬ。和州《わしう》に有し隼人《はやと》は。龜《かめ》之|進《しん》首尾《しゆび》事|明《あけ》くれ。心もとなく夫婦《ふうふ》いひ出し給ふ時。娘《むすめ》嬉《うれ》しげに笑《ゑみ》て。先月廿九日の夜《よ》。敵《かたき》うたれしにうたがひなし。其|子細《しさい》はみづから一|心《しん》に諸神《しよじん》を祈《いの》りしに。此めぐみにや。夢《ゆめ》ながら其場《そのば》にゆきて。後詰《うしろづめ》して殘《のこ》る所なく。うちとめさせ。よろこび歸《かへ》るとみしが覺ての明《あけ》の日。寐《ね》まきの小袖《こそで》だん/\に切《きれ》て血《ち》に染《そま》りしと。語《かた》りも果《はて》ず。それを二親《ふたをや》に見せければ。心よく龜之進《かめのしん》を待《まち》かねしに。程《ほど》なく。立歸《たちかへ》り。御前《ごぜん》よろしく數々《かず/\》の御褒美《ごほうび》。先知《せんち》に貳百石の御|加増《かぞう》有て。隼人《はやと》をめされ立出る時の段々《だん/\》。至極《しごく》におぼしめされ。縁組《ゑんぐみ》の事|仰付《あふせつけ》られ。世のほめ草《ぐさ》をなびかせ。隼人《はやと》が家《いへ》風をふかせける。其後《そののち》夢物《ゆめもの》がたりせしに。刻《こく》も時《とき》もたがはず。目に見ぬ助太刀《すけだち》おもひあたれる事ありと。其はたらきを語《かた》り慰《なぐさ》み。兩家《りやうけ》ともに繁昌《はんじやう》してかたらひをなしけると也 ## (五)家中《かちう》に隱《かくれ》なき蛇《くちなは》嫌《ぎら》ひ 人によつて。人|喰狼《くふをふかみ》にはおそれずして。何の事もなきひき蛙《がへる》を嫌ふも有。是其|生《しやう》によるものなり。江州《こうしう》田上《たがみ》川の瀬《せ》にかはりて。古代《こだい》稀《まれ》なる洪水《こうずい》。岸根《きしね》の松柳《まつやなぎ》もほれて。田地荒野《でんちあれの》なれば。其|比《ころ》の國《くに》の守《かみ》。これをあはれみ。百|姓《しやう》をすくはせ給ひ。堤《つゝみ》ぶしんも。里《さと》へは掛《かけ》給はず。手まへの人足《にんそく》。數千人《すせんにん》出て鋤鍬《すきくは》の音《おと》。湖水《こすい》にひゞき渡《わた》りて。龍女《りうによ》もおどろくべき多勢《たぜい》なり。此|奉行役《ぶぎやうやく》人。家中《かちう》の利發《りはつ》人さゝれて四人|立合《たちあひ》し中に。小林氏《こばやしうぢ》の何がし。武家《ぶけ》かたきにうまれつきたる人にて。心のたけき事。世にすぐれたれども。常《つね》に蛇をおそれて。其|噺《はな》しを聞《きく》さへ身をちゞめけるに。同じ奉行《ぶぎやう》。ちいさきくちなはをとらへて。是それへなぐるといへば。たちまち面《おもて》の色《いろ》へんじて。刀《かたな》のそりうつて。弓矢|八幡《はちまん》なげてみよ。壹寸もそこをのかせじといかれば。をの/\中に立ふさがり。兩方《りやうはう》へ押分《をしわけ》。當分《たうぶん》。何の子細《しさい》もなく。濟《すみ》ぬ。其後《そののち》いづれも蛇《へび》。うちかけんとせし人のもとに行て。今日の首尾《しゆび》。其方何の心もなき事ながら。先《まづ》あやまり給へ。日比《ひごろ》をそるゝ人を存《ぞん》じられての座興《ざけう》よく/\思へばせまじき事なり。菟角《とかく》此|義《ぎ》は堪忍《かんにん》と。言葉《ことば》をさげ。むかしのごとく談《かた》り給へと内《ない》證申せば。此|男《をとこ》流石《さすが》侍《さふらひ》にて。いかにも此方の卒爾千万《そつじせんばん》。至極《しごく》の所なり。をの/\お詞《ことば》はもれじ。何やうにも頼《たのみ》入と申せば。いづれも此一|言《ごん》を聞《きく》から。神妙《しんめう》のいたりなり。此|上《うへ》は其方の手をさげさするにあらずと皆々《みな/\》小林氏《こばやしうぢ》のかり屋に尋《たづね》入今日の義は。さそ/゛\御|腹立《ふくりう》たるべしと。いひもはてぬに。されば。いやものを見せかけ。さりとはこまりたる所。あまりをそろしさに。刀《かたな》のそりをうつて見せしが。それは何の心もなし。我等《われら》はあれほどすかぬ物なしと大|笑《わら》ひにて此事濟《すみ》ぬ。心中を色《いろ》に出さず。つねの事にして其|埒《らち》を明《あけ》られける。是ぞ發明《はつめい》なる取さばきと。思案《しあん》ある人は。感《かん》じぬ。其後|小林氏《こばやしうぢ》。世《よ》の無常《むじやう》定《さだめ》がたく。一とせあまりのうちに。妻子《さいし》殘《のこ》らずうしなひ。何の願《ねがひ》もたへて。御前《ごぜん》よろしく御|暇《いとま》申|請《うけ》。長劍やめて。身を麻衣《あさごろも》にかへて。かくれ家《が》もあるに。人倫《じんりん》のかよひなき。海中のはなれ島《じま》。笹《さゝ》ぶねのたよりに身を越《こへ》て。竹生島《ちくぶしま》の北《きた》なる竹島《たけしま》といふ所に。草葺《くさふき》をむすびて爰を出ぬ事。三とせあまりになれり。すぎにし比。したしき人々《ひと/゛\》さそひあはせ。一夜とまりに定《さだ》め此島へたづねしに。むかしの形《かたち》はなくて。をこなひすまして殊勝《しゆしやう》さかぎりなかりき。取まぜてむかしの事ども今の身のうへをかたり。落葉《をちば》かき集《あつ》めて茶《ちや》をせんじ。有合に米《こめ》うち込《こみ》て。もてなされ。其日も浦浪《うらなみ》に影《かげ》うすく。三井《みい》の晩鐘《ばんしやう》かすかに。鵆《ちどり》もいづち飛《とび》うせ。松《まつ》に嵐《あらし》のみ是より淋《さび》しさ。又|何國《いづく》にか有べし。けふは我人十二人つねは庵住《あんじう》ひとりはよく暮《くら》されける。をのづから觀念《くはんねん》の南窓《みなみまど》も闇《くら》く成て朽木《くちき》其《その》まゝのかゞりを燒《たけ》ば。此火のうつりにはひあつまる蛇《へび》幾《いく》かぎりもなく。人ををそるゝともなく。ひざ懷《ふところ》に入てうねくり。又は裾《すそ》より入けるをはじめの程は取のけしが。中々|數千筋《すせんすぢ》なれば。をの/\氣《き》をなやみて。是はいかなる事ぞとたづねしに。元《もと》より此|島《しま》蛇《へび》ある所と傳《つた》へ聞《きき》て。身をこらして佛心の大願と語られければ。をの/\横手《よこで》をうつて年比は嫌《きら》はせ給ふに。今此中に住《すま》せ給ふはさとりの眞實《しんじつ》あらはれけると。夜《よ》もすがら。うるさく。明《あく》るを待《まち》かねをの/\城下《じやうか》にたち歸《かへ》りて此事を語《かた》りぬ # 武家義理物語《ぶけぎりものかたり》 卷四 ##       目録《もくろく》 一 なる程《ほど》かるひ縁組《ゑんぐみ》        せまき所をかりの世の中        一日に二|度《ど》のかけ梶原増《かぢはらまさり》の事 二 せめては振袖《ふりそで》着《き》て成とも        元服《げんぷく》はむかしに歸り花咲《はなさく》        犬《いぬ》のかよひぢ心ざし深《ふか》き事 三 恨《うらみ》の數讀《かずよむ》永樂通寶《ゑいらくつうほう》        是そ雨《あめ》の日の長《なが》物がたり        幽靈《ゆうれい》身の上を訴訟《そせう》の事 四 丸綿被《まるわたかづ》きて僞《いつはり》の世渡《よわたり》        京にかくれなき十|分《ぶ》一|取《とり》        武士《ぶし》の息女《そくぢよ》にまことある事 ## (一)成《なる》ほどかるひ縁組《ゑんぐみ》 武士《ぶし》の身《み》程《ほど》定《さだめ》がたきはなし。生國《しやうこく》備中《びちう》の松山《まつやま》をはなれ。和州《わしう》郡山《こほりやま》に行《ゆき》て。むかしめしつかひし小者《こもの》。今は町家《まちや》に住《すま》ひして。世をこゝろやすく暮《くら》しけると。其噂《そのうはさ》傳《つた》へ聞《きゝ》て。ひそかにたづねしに縁《ゑん》はつきず。めぐり逢《あへ》ば。此|男《をとこ》おどろき。是《これ》はいかなる御|首尾《しゆび》にて。かく御壹人|爰《こゝ》には御|越《こし》あそばしけるぞと申。されば是非《ぜひ》もなき義理《ぎり》にて御|暇《いとま》申|請《うけ》。妻子《さいし》は國《くに》かたに預置《あづけを》き。身體《しんだい》かせぐうちに。世《よ》無常《むじやう》のならひ。二とせの中《うち》に妻子《さいし》相果《あいはて》。今はながらへても甲斐《かい》なし。いづれの僧《そう》にてもたのみ。長劍《ちやうけん》をもやめて。山居《さんきよ》の心ざしをもをこりしが。牢人《らうにん》の時節《じせつ》。世を捨《すて》なば人の沙汰《さた》すべき事も口惜《くちをし》く。何とぞ先知《せんち》に有付。其後は思案《しあん》もすべし。すこし存寄《ぞんじよ》る子細《しさい》もあれば。一|兩年《りやうねん》も此所に借宅《しやくたく》をもして。世間《せけん》を見合《みあはせ》たき願《ねが》ひなり。其|才覺《さいかく》頼《たの》むといへば。だん/\聞《きく》に泪《なみだ》をこぼし以前《いぜん》に替《かは》らせ給ふ御事。さりとは見るにさへいたまし。とかく御こゝろまかせにと。先《まづ》笹《さゝ》の屋《や》のせまき住《すま》ひを。御目にかけ。夫《をつと》はたばこ切《きり》さし。徳利《とくり》さげて酒屋《さかや》に行《ゆけ》ば。女は麻布《あさぬの》織《をり》すて。茶《ちや》の下《した》燒付《たきつけ》。心一はいもてなしけるに一|夜《や》を明《あか》して見しに。中々|氣遣《きづかい》たへねば。何とぞ我宿《わがやど》とさだめて。すこしのうちも暮《くら》したき願《ねが》ひ申せば。幸《さいわ》ひ近所《きんじよ》に。此|程迄《ほどまで》針立《はりたて》の住《すま》れし明家《あきや》。南《みなみ》うけに菱垣《ひしがき》の。きれいに侘《わび》人に似合《にあひ》たる宿《やど》なれば。是をかりつぎて。奈良團《ならうちは》の細工《さいく》をすゝめて。かつ/\成。渡世《とせい》もあはれに。たらぬ所は合力《かうりよく》して。半年《はんねん》あまりも過《すぎ》ゆけば。所の人もなじみて。住《すみ》うき事もわするゝ程《ほど》になりぬ。いつまで。ひとりは寢覺《ねざめ》も淋《さび》しかるべしと。春日《かすが》の里《さと》にかよひ。商人《あきびと》申出して。よき事《こと》あり。後家《ごけ》の娘《むすめ》廿二三なるが其|形《かたち》うつくしく。しかも利發者《りはつもの》にて。母《はゝ》にも孝《かう》をつくせば。人|皆《みな》夫妻《ふさい》の望《のぞ》みあれども。浮世《うきよ》はあきはてしと。此事を取あへず。さては一たび男持《をとこもち》けるかと聞《きく》に。さもなくて。花《はな》の盛《さかり》をいたづらに振袖《ふりそで》留《とめ》て。人に見られたき風情《ふぜい》なかりき。然《しか》れば。わけなくき病氣《びようき》もありやと。内證《ないしやう》せんさくするにさもなく。あたら日數《ひかず》をふる程《ほど》に。こなたの事を語《かた》り出して。當分《たうぶん》は浪人衆《らうにんしゆ》成が。すへ/゛\頼《たの》みある御|方《かた》といへば。母《はゝ》人よりは其娘聞屆《そのむすめきゝとゞけ》て。其《その》をちめなる侍衆《さふらひしゆ》ならば。のぞみなり先樣《さきさま》に御|合點《がつてん》あらば。身《み》をまかせ。お茶《ちや》のかよひ。つかふまつり申べしと。したしく我《われ》にかたりける。手前よろしき人の。いへるは取あへず。貧家《ひんか》を好《この》み參るべしとは縁《ゑん》なりと押付《をしつけ》わざに取持《とりもち》。夫婦《ふうふ》にかたらはせけるに。此女男の氣をとりて。何事《なにごと》もそむかざれば。今の身にして嬉《うれ》しさ。限《かぎ》りなく。小升《こます》。横槌《よこづち》ならべ枕《まくら》のちぎり。錦《にしき》のしとねに増《まさ》り。たのしみ。ふたりが中に。何か包《つゝ》む事なく。折《をり》ふし春雨しつかふふりて。外より尋ぬる人もなく。寢酒《ねざけ》呑《のみ》かはして。つまり肴《さかな》に。鹽鯛《しほだい》のかしらを。なたふりあげて打|割《わり》。いさぎよき貌《かほ》つきして。此ごとくいつぞ見付出してと。つぶやかるゝを聞《きゝ》とがめ。何事ぞと女に問《とは》れて。今はかくさず親《をや》の敵《かたき》此所に立のけば。それをうつべき大願《たいぐはん》とくはしくかたれば。扨は大事の御身と。なを/\念|頃《ごろ》につかへて。心中に春日へ立|願《ぐはん》して。やす/\とうち給ふ事を祈《いのり》ぬ。それより廿日を過《すぎ》て亭主《ていしゆ》しのびて。南|都《と》のかたへ行《ゆく》とて。夜《よ》の明《あけ》がたに宿を出しが。しばしあつて立歸り。件《くだん》の相手をけふ見付出したり。是は天|理《り》にかなふ所と。踊《をどり》あがり。肌《はだ》に着込《きご》み。くさりの鉢卷《はちまき》。女は刀《かたな》の目釘《めくぎ》をあらため。口に人|參《じん》をかませ。盃《さかづき》ごとしてうち笑《わら》ひ。本望とげ給ひて。追付《をつつ》け歸宅《きたく》を待請《まちうく》ると。此|時《とき》にいたりて常《つね》とは各別《かくべつ》かはりて。かひ/゛\しく。亭《てい》主是に力を得て。いさみ/\て立出しが。程なく立歸りて。首尾殘る所なく。敵《かたき》は是ぞと。其首|手桶《てをけ》に入て。割蓋《わりふた》にて隱《かく》し。あたりの人此事をしらず。夫婦《ふうふ》さしのぞけば。撫《なで》つけあたまの大男|十面《じうめん》つくり。目を見《み》ひらき。無念貌《むねんかほ》にふくませける。是|門田番藏《かどたばんざう》とて。日比《ひごろ》は武の達者《たつしや》なるが。利劍《りのけん》にとめける。先祖《せんぞ》藏人殿《くらふどどの》へ手向《たむけ》奉ると。血刀添《ちがたなそへ》て觀念《くはんねん》するをみて。此女|泪《なみだ》に袖をひたしぬ。亭《てい》主此有さま合點《がつてん》ゆかず。扨は此首によしみありと見えける。ありのまゝに語《かた》れと。男は俄《にはか》に心|置《をき》て。夫婦《ふうふ》の間《あいだ》いな物に替《かは》りぬ。女はすこしも動轉《どうてん》せず。只《たゞ》何心もなし。手《て》ばしかき御|働《はたら》きを嬉《うれ》しさのあまりと。不斷《ふだん》の機嫌《きげん》になをせど。男一|圓同心《ゑんどうしん》せず。その子細《しさい》を是非《ぜひ》に申せと聞《きゝ》かゝる。女|迷惑《めいわく》して語《かた》りける。わたくしも親《をや》の敵《かたき》を眼前《がんぜん》に見ながら。女の身のかなしさは。無念《むねん》の年月をおくりぬ。此|度《たび》かく。おぬしさまと。かたらひをなしけるも。御|心底《しんてい》を見定《みさだめ》。嬉《うれ》しや此事を頼《たの》み討《うち》てもらはんとおもひ入し・折ふし。敵《かたき》ありとの御物語。それにさし合せては申かねしに。けふ御|首尾《しゆび》よくうたせ給へば。我かたきも。あのごとくに。うち取たきよと。心底《しんてい》外にあらはれ。お目にあまれるなみだの袖。かゝる目出《めで》たき折ふし。万事は御ゆるし給はれといふ。男も聞《きゝ》もあへず。今は我《わが》ためにも親《をや》なれば。其まゝに置《をおく》べきやと。此はじめをつと/゛\に語《かた》らせて聞屆《きゝとど》け。其者は今ほど西の京といへる所にまぎれ。白坂外記《しらざかげき》といへる名《な》をかへ。天原流波《あまばらりうは》とよびて。面《おもて》むきは。手習《てならひ》の指南《しなん》して。今も武藝《ぶげい》をこたらぬよし語《かた》れば。亭主《ていしゆ》樣子《やうす》をのみ込《こみ》。茶漬飯《ちやづけめし》をくひて。つゐ宿《やど》を出《いで》て行《ゆき》しが。其日の七つさがりに此首もうちて歸《かへ》り。女にみすれば。是ぞこれよ。ひだりのかたの額《ひたい》に切疵《きりきず》。むかしにかはらぬ貌《かほ》ばせ。憎《にく》やと死首《しにくび》ながら。守《まも》り刀《かたな》を切《きり》つけ。又此|恩《おん》わすれ難《がた》しとよろこび。今はまこと泪《なみだ》にくれぬ。一日に敵《かたき》二人までうち取|事《こと》。前《ぜん》代ためしなきはたらきなり。此|親《しん》類のとがめの有べしと。跡《あと》の事は最前《さいぜん》のたばこ切《きり》にまかせ。奈良《なら》にまします母をも。一|所《しよ》に引|越《こ》し。其|夜《よ》のうちに所を立|退《の》き。本國にくだりぬ ## (二)せめては振袖《ふりそで》着《き》て成とも 伏《ふし》見の城山《しろやま》は。桃林《たうりん》に牛馬《ぎうば》の捨置《すてをき》とはなりぬ。むかし此所のはんじやう。諸國《しよこく》の大名《だいみやう》屋しき。たちつゞきし時。和州《わしう》の内の城主《じやうしゆ》にめしつかはれし。室田《むろだ》猪《い》之介といへるは。その頃《ころ》の美兒《じしやう》にして。形《かたち》よは/\として。心ざしつよく。さながら女かとうたがはれ。秀吉公《ひでよしこう》の御|女﨟《じよろう》の花か。おちよぼか。此二人の艶《ゑん》なる風|俗《ぞく》にも見まがふ程なり。主人《しゆじん》も一入《ひとしほ》ふびんかゝりて。外の前髮《まへがみ》よりは。御|寢間《ねま》ちかふめされ。出頭《しゆつとう》時《とき》を得《ゑ》て。人もうらやむ仕合《しあはせ》なるに。いかなる者か是をそねみて。戀《こひ》によせて落書《らくがき》。猪《い》之介身のうへの事。あらはにしるし。御目|通《どをり》に張付置《はりつけをき》しを。横目《よこめ》の役《やく》人見|付《つけ》。善惡《ぜんあく》事|包《つゝ》まず。申あぐべき神|文《もん》なれば。此|段《だん》言上《ごんじやう》申せば。御|僉議《せんぎ》もとげられず。一|筋《すぢ》に御|腹立《ふくりう》あそばし。猪《い》之|介《すけ》には何《なに》の子細《しさい》も仰渡《あふせわた》されず。御|國元《くにもと》へつかはされ。母親《はゝをや》に御|預《あづけ》あそばされ。屋敷は閉《へい》門申付べしと。岡澤《をかさは》三之|進《しん》といへる。留守居役人《るすいやくにん》に急度《きつと》仰付《あふせつけ》られ。御意《ぎよい》の通《とを》りに。門を閉《とぢ》きびしく番《ばん》を付。親《しん》類かぎつて。出入かたく改《あらため》ける。猪之介|親子《をやこ》何とも。お科《とが》の程。わきまへがたく。切腹《せつぷく》すべきやうもなく。是非もなき仕合にて。取籠《とりこもり》しが。下々はわたり奉公《ぼうこう》の者なれば。かゝる時節《じせつ》を見捨《みすて》。身の大事《だいじ》を思ひやりて。ひとりも殘《のこ》らず立《たち》のきぬれば。世のうき時にひとしほ。かなしく。朝夕《てうせき》の煙《けぶり》も絶《たへ》/゛\に。母《はゝ》は子の事いたましく。手なれぬ米《こめ》をかしき給へば。猪《い》之|介《すけ》はみるもかなしく。せめては井《い》の水《みづ》を釣《つり》あげ。摺鉢《すりばち》の音《をと》さへしのびて。せつなきけふを暮《くら》し。明日《あす》の事をも命《いのち》あるゆへ。なさけなく。日をかさね。夜をかぞへ。月も覺《おぼ》えず。年《とし》もわすれ。軒端《のきば》の梅《むめ》を暦《こよみ》に。さては春《はる》にも成けるかとおどろき。唯現《たゞうつゝ》に動《うご》き。夢《ゆめ》に物いふこゝちして過《すご》しぬ。今はたくはへもつきて。をのづから。かぎりの身とせまるを覺悟《かくご》して。親子《をやこ》最期《さいご》のいとまごひ。これらは武運《ぶうん》のつきぞかし。我《われ》は女の身|自害《じがい》の見《み》ぐる敷《しき》も。死後《しご》にても。人もゆるすべし。汝《なんぢ》は後悔《こうくはい》ある身なれば。母《はゝ》より先《さき》に死貌《しにがほ》を見べし。さあ。今ぞおもひのこすなといさめられしに。猪《い》之介|御意《ぎよい》にしたがひ。そゝけし鬢《びん》を撫《なで》つけて。隨分《ずいぶん》ゆたかにかしこまり。諸肌《もろはだ》ぬぎて。小脇《こわき》ざしの鞘《さや》ぬきはなつ所へ。人の手飼《てがい》と見へて。まだら犬《いぬ》に。むらさきの首玉《くびたま》入て。紙袋《かみふくろ》ふたつ。左右《さゆう》へわけて。むすび付られ。物いはぬばかり。尾《を》をふりて。ちかく寄《より》けるほどに。ふしぎに思ひ。母《はゝ》これを明《あけ》て見られしにひとつの袋《ふくろ》には白米《はくまい》入て。命《めい》はかるしと書付《かきつけ》。又ひとつには種々《しゆ/゛\》の菓子《くはし》を入。義《ぎ》は重《おも》しと書《かき》しるして。主《ぬし》はたれともしらず。おくられける。是に親子《をやこ》の人。思案《しあん》して。此心ざしに相果《あひはつ》べきは。いつとても成事なり。是は定《さだ》めて諸親類《しよしんるい》の。誰《たれ》があはれみとしられたり。此|犬《いぬ》は見しりもなきと。脊筋《せすぢ》を撫《なで》さすれば。嬉《うれ》しげに立歸《たちかへ》る。其|行衞《ゆくへ》をみるに。藪疊《やぶだたみ》の破《やぶ》れよりくゞりぬ。其後にあけぼの夕暮《ゆふぐれ》に人の氣《き》を付《つけ》ぬ折ふし。萬《よろづ》の食物《しよくもつ》をはこぶ事。はや二とせにもあまりぬ。光陰《くはうゐん》矢《や》のごとし。弓馬《きうば》の家《いへ》すたりて。五とせに今すこしの程こそたらね。なが/\の閉門《へいもん》。たいくつして。病氣《びやうき》もさしをこり。やみ/\と此まゝに果《はて》なん事をなげきしに。諸神《しよじん》御めぐみにや。殿《との》御心ざしの有時。猪《い》之|介《すけ》事おぼしめし出され。御とがめ御しやめんあそばされしに。有難次第《ありがたきしだい》と御請を申|上《あげ》。次手《ついで》ながら御|訴訟《そせう》申上る。迚《とて》もの御事に。只今《ただいま》迄《まで》閉門《へいもん》仰付られしお科《とが》の段々《だん/\》仰渡《おふせわた》され。御ゆるしに預《あづか》り申だき願《ねが》ひ。大殿《あふとの》此|義《ご》至極《しごく》に覺《おぼ》しめされ。最前《さいぜん》の落書《らくがき》ひそかにつかはされしに。しばらく思案をめぐらし。兼《かね》てふあひの中間《なかま》。豐浦《とよら》浪之丞《なみのじやう》そねみにて有べき事をせんぎ仕出し。則《すなはち》筆者《ひつしや》は町家《まちや》に身を隱《かく》し。兵法《へいほふ》の指南《しなん》をせし浪《ろう》人。岩坂《いわさか》金《きん》八に極《きは》まつて。兩《りやう》人ともに切腹《せつぷく》うち首《くび》に仰付《おふせつけ》られ。猪《い》之介|長々《なが/\》の難義《なんぎ》ふびんに覺《おぼ》しめされ。げんぷく仰付られ。貳百石の御|加増《かぞう》あつて。御|判役《ばんやく》承《うけたまは》り出頭《しゆつとう》むかしよりは今ぞかし。世の聞《きこ》え。面目《めんぼく》すゝぐて二たび國元《くにもと》に歸宅《きたく》して。一門殘《のこ》らず。參會《さんくはい》の上《うへ》にて。犬《いぬ》をかよはせられし。こゝろばせの方《かた》をたづねける。此人|更《さら》にしれがたし。何とも合點《がつてん》ゆかず。さまざま氣《き》をつくしぬ。有時|屋形町《やかたまち》の末々《すへ/゛\》まで見めぐりしに。日比《ひごろ》かよひし犬《いぬ》の。いねぶりて。さる屋敷《やしき》の門前《もんぜん》に見えける是はと嬉《うれ》しく立寄《たちより》。いかなる御かたの宅《たく》ぞとたづねけるに。岡崎《をかさき》四|平《へい》といへる大番頭《あふばんがしら》の人なり。おもへば此人は我《われ》に執心《しふしん》かけられし事。御|前《ぜん》を勤《つと》めしうちにも。すこしは忘《わす》れもやらず。殊更《ことさら》此たびの心づかひ。一|命《めい》にかへても。此|恩《おん》を報《ほう》じがたし。今でも此人の身の上大事の出來《でき》ば。神以我《しんもつてわれ》ひかじと心底《しんてい》に僞《いつは》りなし。其|夜《よ》ひそかに。人つかはし四|平《へい》を手前《てまへ》に申|請《うけ》。親子《おやこ》ともに泪《なみだ》をむすび。嬉《うれ》しき數々《かず/\》の禮義《れいぎ》をのべ。母《はゝ》は勝手《かつて》に入らせ給へば其跡《そのあと》はしめやかに語《かた》り。まづもつて犬《いぬ》のかよひの事をたづねけるに。殿《との》御|國入《くにいり》の時分《じぶん》はこなたにあこがれ。夜々《よる/\》屋形《やかた》のうらまで立《たち》しのび。かなはぬ胸《むね》を晴《はら》してかへるに。いつとなく其|犬宿《いぬやど》よりつきて。戀《こひ》の道《みち》をわきまへけるとかたれば。猪《い》之介|赤面《せきめん》して。是非《ぜひ》もなや。姿《すがた》の花の枝《ゑだ》を折られ。今の古木《こぼく》見せけるも口惜《くちをし》けれど。もはや歸《かへ》らぬむかしなり。心は替《かは》らぬ我《われ》んれば。いふも恥《はづ》かしけれど。見捨《みすて》させ給ふなと。常《つね》の居間《いま》に入て。着《き》ぶるしたる脇明小袖《わきあけこそで》に身を替《かへ》。ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ。其年は猪《い》之介二十二|才《さい》成に。たはふれのあまりに。廿一|才《さい》と年《とし》のほど。ひとつかくされしは。武士《ぶし》にはなき事ながら。戀路《こひぢ》なれば。憎まれず。これぞ衆道《しゆだう》のまこと成|心《こゝろ》ざしぞかし ## (三)恨《うらみ》の數讀《かずよむ》永樂通寶《ゑいらくつうほう》 とらの年にはかならず洪水《こうずい》と語《かた》り傳《つた》へたり。むかし駿河《するが》の國《くに》。安部《あべ》川のわたり絶《たへ》て。十日の雨《あめ》やどりして。旅《りよ》人の難義《なんぎ》せし事有。其|比《ころ》は諸國《しよこく》の大|名屋形《みやうやかた》たちつゞきて商賣《しやうばい》人は抓取《つかみどり》ありて。其|時代《じだい》小判《こばん》とぼしからず。渡世《とせい》をなしける。爰《こゝ》に北國《ほくこく》の城主《じやうしゆ》の中屋敷《なかやしき》はるか府中《ふちう》をはなれ。はるか西《にし》のかたの野末《のずへ》にありしが。是には一年|替《かは》りの國主《こくしゆ》の。長屋《ながや》住《ずま》ひ。千塚《ちつか》太郎右衞門といへるかたへ雲馬茂介《うんばもすけ》といふ人。降《ふり》つゞく五月雨《さみだれ》の淋《さび》しさに。たよりて世の咄《はな》しもかさなる。雲間《くもま》に入日の影《かげ》。わづかに。こがらしの森移《もりうつろ》ひ。けふこそ氣《き》も晴《は》れけると遠山《とをやま》。ひさしぶりにて詠《なが》め。傘《からかさ》ほせ。庭《には》の溜《たま》り水かへ出せなど。小者《こもの》に申付しに。此水|竹縁《たけゑん》の下にほそく流《なが》れ込《こみ》。千丈《せんじやう》の堤《つゝみ》。蟻穴《ありあな》より崩《くづ》るがごとく。見しうちにめいりて。柱《はしら》もゆがみ壁《かべ》もこぼれ。是はふしぎの事ぞと。此|土中《どちう》こゝろもとなく鋤鍬《すきくは》はやめ上土《うはつち》のければ死人《しにん》形《かたち》もくづれず。見《み》えける。貳人|念比《ねんごろ》に見屆《みとゞ》け。是は年ふりたる死骨《しこつ》にあらず。をよそ四五年の埋《うづみ》ものなり。いかさま子細《しさい》有べしと。先《まつ》兩人心をあはせ内談《ないだん》して。とかく御|役人衆迄《やくにんしゆまで》申入るべし。折《をり》ふし參りあはされ。見へわたりたる通《とを》り證《しやう》人と申せば。茂介《もすけ》聞|屆《とゞ》け。いかにも一|所《しよ》に上屋敷《かみやしき》へまいるべし。私宅《したく》に歸れば時節《じせつ》うつれば。いざ是より同道《どうどう》申べしと。つれ立《たち》御|門《もん》に出れば。役《やく》人|錠《じやう》しめける。兩人|斷《ことはり》を申。私《わたくし》の用《やう》ならず。老中《らうぢう》まで申上る事ぞといへば。何事にもいたせ。今晩《こんばん》御|門《もん》は明《あけ》がたし。各々《をの/\》は甫《はじ》めて此御|屋敷《やしき》入ことに。此程御|國《くに》より御|越《こし》なれば。かやうにきびしく仕る子細《しさい》を御|存知《ぞんじ》あるまじ。去々《きよ/\》年の十二月二十三日に錢賣《ぜにうり》御|門《もん》は入しが。其後出ざれば。色々御|僉議《せんぎ》あそばしけるに。其有|所《しよ》しれがたし。親類《しんるい》是を御|歎《なげ》き申上。世《よ》の取|沙汰《さた》もよろしからず。ふびんや立島《たつしま》の布子《ぬのこ》着《き》て毎日其男をみしに。金商人《かねあきびと》ゆへ。ころされけるや。其以|後《ご》かく改め申と語《かた》れば。いかにも/\其|義《ぎ》ならば。明日《あす》の事にと又|兩《りやう》人。長屋《ながや》に立歸《たちかへ》り。彼死《かのし》人をみるに。立島《たつしま》の着物《きるもの》是うたがひなし。扨《さて》其|年《とし》此|長屋《ながや》に住《すみ》ける人を。せんさくすれば。此事ひとしほ迷惑《めいわく》して一思案《ひとしあん》の貌色《かほいろ》。茂介|見屆《みとどけ》。此|段《だん》は御|自分《じぶん》と。拙者《せつしや》が心にて濟《すむ》事と申せは。太郎右衞門滿|足《ぞく》して。然《しか》らば隱密《をんみつ》に仕と。下々の口を閉《とぢ》茂介は夜|更《ふけ》て家宿《わがやど》に歸《かへ》りぬ。其夜も明《あけ》て五つ時分《じぶん》に。御上|屋敷《やしき》より横目衆《よこめしゆ》まいられ。此前しれざりし錢賣《ぜにうり》の御せんさく有べき御事と。ひそかに沙汰有しを。太郎右衞門|聞付《きゝつけ》。其まゝ茂介|宅《たく》にかけ入。夜前《やぜん》申合せし甲斐《かい》もなく。さりとはひけうなる心底《しんてい》。かく有べき事にはあらず。まつたくそこを立せじといふ。茂介《もすけ》さはがず。此段にいひわけにはあらず。神以《しんもつて》それがし他言《たごん》申せしにはあらず。されども外より申べき人なし。是《これ》程|分別《ふんべつ》にあたはざる事なし。是非《ぜひ》もなき仕合《しあはせ》。いざ時刻《じこく》うつさじと。茂介二十七|才《さい》。太郎右衞門二十三。たがひに聲《こゑ》かけて。相《あひ》うちにして。首尾《しゆび》殘處《のこるところ》なく。浮世《うきよ》のかぎりをみせける。此事また下々に御|僉議《せんぎ》有。右《みぎ》の次第|委細《いさい》にしれける。此段茂介申せしにはあらず。御|上屋敷《かみやしき》の小玄關《こげんくはん》へ男壹人あらはれ。わたくし事|去々《きよ/\》年しめごろしにあへる錢屋《ぜにや》成しが。今宵《こよひ》からだを掘出《ほりいだ》されて。嬉《うれ》しや十三|兩《りやう》の小判《こばん》を御取|歸《かへ》してといふかと聞きしが。たちまち見《み》へず成にき。是よりの御せんぎなり。さては其|錢賣《ぜにうり》が。ぼうれいなるべしと。此|沙汰《さた》になりぬ。此事國元に聞へ。谷淵《たにぶち》長六が下々の仕業《しわざ》には極れども。太郎右衞門茂介兩人が心底《しんてい》を聞て。其身ものがれず。今年《こんねん》二十五|才《さい》の夏《なつ》の夢《ゆめ》物語とは成ける ## (四)丸綿被《まるわたかづ》きて僞《いつはり》の世渡《よわたり》 房付枕《ふさつきまくら》も定《さだ》めず。きのふ夢《ゆめ》。けふは又思ひ川の瀬《せ》に變《かは》りゆく流《なが》れとて。いとしからぬ男に身ぞこらし。まんざら僞りの泪《なみだ》。待《まつ》も別《わかれ》もそれからそれまで。いづれの女が勤《つと》めそめて。うき年おくるさへくるしきに。此程の遊女《ゆうぢよ》は。むかしのごとく。かぶき者《もの》にはあらず。まづしき親の渡世のたよりに身《み》を賣《うら》れて。身《み》を賣《うる》女郎とは成ぬ。惣《すべ》て。いやしき女にもあらず。是に定《さだま》る筋目《すぢめ》にもなく。時節《じせつ》にしたがひかくこそなれ。過《すぎ》にし關《せき》が原《はら》陣《ぢん》に高名《かうみやう》其|隱《かく》れなき何《なに》の守《かみ》とかやの孫娘《まごむすめ》。父浪人の身と成。今の都北の山|里《ざと》。物のわびしき住ひ。煙の種《たね》に拾《ひろ》ひあつめし。落葉《をちば》の宿《やど》。名《な》も埋木《むもれぎ》の風にいたみ。程《ほど》なく病死《びようし》あそばしての後《のち》母のいたはりにて。十二の春《はる》の花にたとへて。小|櫻《ざくら》と名《な》によばれ。里《さと》にあげまきにむすびし金水引も。今の風義《ふうぎ》の髮形《かみかたち》になれば。ひなびたれども都《みやこ》の人も見かへる程《ほど》になれり。有時|諸國《しよこく》へ人きもいりの口鼻《かゝ》たづね來り。此|息女《そくぢよ》つねならねば。あたら美形《びけい》を。かくいたづらになし給ふもよしなし。幸《さいわ》ひ難波《なには》の大名《だいみやう》の御|母義《ぼぎ》さまより。うるはしき御そばづかひ御|尋《たづね》にて。きのふもさるかたより。烏帽子裝束《ゑぼししやうぞく》を着《き》させ給ふ人の息女《そくぢよ》さへ。行末《ゆくすへ》おぼしめしてつかはされける。此お子もいかなる武家《ぶけ》の御前にか。ならせ給《たま》ふもしれまじと。物馴が言葉《ことば》にことをふくませていひければ。母《はゝ》人同心まし/\て。娘《むすめ》が後《のち》の身のためとや。それをこそ願ひなれ。万事《ばんじ》はおぬしさま頼むよし。こつちへまかせ給へと。其|明《あけ》の日はやく乘《のり》物さしむけ御|供《とも》申と物事おもくいひなし。是は當座《たうざ》の御|心付《こゝろづけ》と。小袖《こそで》に金|判《ばん》十|兩《りやう》。母《はゝ》に渡《わた》して隣家《りんか》の野夫《やふ》をまねき。代《だい》筆に證文《しやうもん》かゝせ。別《わか》れは親子《をやこ》の泪なるを。やがて正月には養父《やぶ》入とて。あはせらるゝも程《ほど》なしと。息《そく》女を引取すぐに伏見《ふしみ》の川舟に移《うつ》し。岸根《きしね》つゞきの里めづらしく浪の流《なが》れの身と成事は浮鳥《うきとり》かたらず。口鼻《かゞ》もだまりて。大坂の色町|佐渡島屋《さどじまや》の何がしの宿《やど》に是をわたして。其女|房《ぼう》は京に歸《かへ》りぬ。子櫻は何の差別《しyべつ》もなく。遊女禿《ゆうぢよかふろ》の大勢《あふぜい》見へわたりて。しやれたる姿《すがた》を嬉《うれ》しく勤《つと》め。かへりの氣晴《きばら》しに貝合《かいあはせ》。歌《うた》がるた取に花車《きやしや》のまじはりよろづにかしこく。然《しか》も心ざし惡《にく》まれず。菟角《とかく》此子は松に極《きは》めて。なるべき者《もの》と。すへたのもしくおもひ。身の欲《よく》ながら外より大事に掛《かけ》しに。それまでは遊女《ゆうぢよ》に成ともおもはざりしに。小林《こばやし》といへる禿《かふぶろ》を。松山さまといはせて天職《てんしよく》に仕《し》たて。明日《あす》より水あげに出すといふより。我《わが》身の事と覺悟《かくご》して。遊女に成べき事口|惜《をし》く。それより作病《さくびやう》おこし。あたゆる藥をのまずして。食物《しよくもつ》を斷《たつ》て親《をや》かたの歎《なげ》きをかへり見ず。無言《むごん》になつて。人見る事もうるさく。眼《まなこ》をふさぎ。卯月のすへより。床《とこ》にふして五月《さつき》闇《やみ》のころ。まことに心も闇《くら》くなりぬ。人々是をかなしく。其身|流《ながれ》にはなさじ。無事《ぶじ》の姿《すがた》を見立《みたて》。親里《おやさと》におくりまいらせんといへど。今更《いまさら》それを聞《きゝ》入ずして。我《われ》も武士《ぶし》の子成ものと。これを名殘《なごり》の一言にして。太夫に成子を惜《を》しやさて # 武家義理物語《ぶけぎりものかたり》 卷五 ##       目録《もくろく》 一 大工《だいく》が拾《ひろ》ふ曙《あけぼの》のかね        美女《びぢよ》の俄米《にはかこめ》屋もをかし        相生《あいしやう》みずに縁組《ゑんぐみ》の事 二 同《おな》し子《こ》ながら捨《すて》たり抱《だい》たり        心ざしふかき女のおもはく        情《なさけ》しる武《ぶ》の道《みち》の事 三 人の言葉《ことば》の末《すへ》みたがよい        花《はな》と花《はな》とのさかりくらべ        最期《さいご》に分別《ふんべつ》出《いづ》る事 四 申|合《あは》せし事もむなしき刀《かたな》        同《おな》じ心もかはる世の中        武士《ぶし》は惡名《あくみやう》殘《のこ》しがたき事 五 身がな二つ二人の男《おとこ》に        かたきにあひほれの女良        よく/\思ひ入て最期《さいご》極《きはむ》る事 ## (一)大工《だいく》が拾《ひろ》ふ明《あけ》ぼのゝかね 石田治部少輔《いしだぢぶのせうゆふ》。世《よ》ざかりに。花園《はなぞの》といへる艶女《ゑんぢよ》を都《みやこ》よりまねき寄《よ》せ。寢間《ねま》の友《とも》とも定《さだめ》て。ふびんをかけさせられしうちに。籠城《ろうじやう》近づきぬれば。身の果《はつ》べき事をいたはらせ給ひ。何《なに》となく京の親元《をやもと》へをくりかへさせ給へり。其後《そののち》主君《しゆくん》討死《うちじに》あそばしけると。世の沙汰《さた》を聞《きゝ》ながら。元町人《もとまちにん》の娘《むすめ》なれば。お跡《あと》をしたひて。命《いのち》を捨《すて》もやらず。身を墨《すみ》ごろもにもなして。其《その》御|方《かた》弔《とふら》ふべき。心ざしを極《きは》めしに。是も母《はゝ》の親《をや》なげきて。無理《むり》に世を立させける。父の仕馴《しなれ》し商賣《しやうばい》。わずかなる米屋《こめや》を。一|條堀川《でうほりかは》のほとりにて。親子《をやこ》もろともに。けふを暮《くら》し。すゑ/゛\はいかなる人にても。入縁《いりへ》を取《とる》べき願《ねが》ひなるに。世間《せけん》のさがなく。此|宿《やど》を治部米屋《ぢぶこめや》といひけるほどに。家主聞《いへぬしきく》をはゞかりて。此|宿《やど》をかへさせける。其さきも又|聞傳《きゝつた》へて追出《をひだ》し。ひろき都《みやこ》に身をせばめて。はや二十五所かはりて。さりとは難儀《なんぎ》にあひぬ。せんかたなく伏見《ふしみ》の片陰《かたかげ》に草葺《くさぶき》を才覺《さいかく》して。其所を又人にしらるゝうたてく。京|海道《かいだう》を。朝《あさ》とく諸道具《しよだうぐ》をはこばせけるに。高家《かうけ》に有し時。くだし給はりし。金銀大分《きんぎんだいぶん》たくはへしを。荷物《にもつ》の數々《かず/\》に入|置《をき》しに。銀三貫目|寢道具《ねだうぐ》のうちへ人しれず置《をき》けるに。やとひ人|肩《かた》を揃《そろへ》て。道《みち》をいそぎしに。松原通《まつばらどをり》因幡《いなば》やくしの前《まへ》にて。暫《しばら》く休《やすみ》しが。此|銀《かね》夜着《よぎ》の袖《そで》よりぬけ落《おち》て。掘《ほり》のはたにあるともしらず。皆々《みな/\》伏見《ふしみ》にゆきける。其朝《そのあさ》大宮《あふみや》の九左衞門とて家大工《やだいく》有しが。この男むかしは筑後《ちくご》にて歴々《れき/\》の武士《ぶし》成けるが。義理《ぎり》につまりて。牢人《ろうにん》して。思ひの外成|職人《しよくにん》と身はならはしにて。渡世《とせい》はかしこく今朝《けさ》の初霜《はつしも》いとはず。上京《かみぎやう》長者《ちやうじや》町へ毎日《まいにち》かよひしに。自然《しぜん》と此銀を拾《ひろ》ひ。ひそかに宿《やど》に歸《かへ》り。我女房《わがにうぼう》にはじめをかたり。是|仕合《しあはせ》の天理《てんり》なり。親類《しんるい》かぎつて此沙汰《このさた》する事なかれと。能々《よく/\》いひふくめて。其身《そのみ》はつねにかはらず。細工《さいく》所にゆきぬ。其跡《そのあと》にて。女つれあひをうたがひ出《だ》し。大分の銀《かね》。おとし有べき子細《しさい》なし。いかなる難儀《なんぎ》にあふべきも定《さだめ》がたし。我身《わがみ》の外《ほか》。一|門《もん》の迷惑《めいわく》と。女心のはかなく。此事を家主《いへぬし》に内證《ないしやう》かたれば。其女のいふ事なれば。をどろく斷《ことはり》ぞかし。宿老《しゆくらう》に通《つう》じて一|町《てう》の沙汰《さた》と成。九左衞門|隱《かく》し置《をく》所。曲《くせ》もの也。とかく我々《われ/\》の愚智《ぐち》にはをよびがたし。近道《ちかみち》に御|公儀《こうぎ》へ申上るに極《きは》め。九左衞門に僉議《せんぎ》をするに。幾《いく》たびもかはらず。拾《ひろ》ふたるよし申せば。いよ/\後日《ごにち》をおそれ。此|段《だん》言上《ごんじやう》申せば。七口に高札《かうさつ》立《たて》させられ。此|落《をと》し手《て》出ぬ時は。九左衞門にせんぎ有。それまでは。一|町《てう》へ御|預《あづ》けなされける。其二三日|過《すぎ》て。治部《ぢぶ》米屋の親子《をやこ》。御訴訟《ごそせう》に罷出《まかりいで》。おとしたる袋《ふくろ》の中の品々《しな/゛\》を申上げ。此|銀主《かねぬし》出ざれば。拾《ひろ》ひて迷惑《めいわく》いたさるゝのより。此|難《なん》助《たすけ》たき願《ねが》ひに申上る。其|銀《かね》は一たび落《をと》し候物なれば。ひろはれたる人にとらせ申たき望《のぞ》み。前代《ぜんだい》なき事と。女|氣《き》に欲《よく》のはなれ。かんぜさせられ。はじめをたんだへさせ給ひ。流石《さすが》石田《いしだ》の家《いへ》にめしつかはれし程《ほど》こそあれと。御|褒美《はうび》あそばし。其後かの九左衞門めしよせられ。まづ銀主《かねぬし》出て其方《そのはう》が仕合なり。もし又しれざる時は。思ひよらざる難《なん》にあふべし。もと此あやうき事は其方が女房《にうぼう》身のうへばかり思ひ。夫婦《ふうふ》よしみかつてなし。このうへにも以前《いぜん》のごとく。つれそふかと御たづね有し時。九左衞門此|御意《ぎよい》有がたく泪《なみだ》にくれて。かゝる不心中《ぶしんぢう》の女。何とてすへ/゛\頼《たの》みがたし。御|前《ぜん》よりすぐに。いとまとらすより申上る。さもこそ有べけれ。夫《をつと》の身の上をなげかざる惡人《あくにん》に極《きはま》る者なる。又|治部《ぢぶ》米屋の母親《はゝをや》に仰出《あふせいださ》れしは。其方ども女ばかりにて流牢《るろう》をするなれば。あの九左衞門を聟《むこ》として。是に万事を頼《たの》むべし。拾《ひろ》ひし三貫目は。則《すなはち》敷銀《しきぎん》なるべしと。御|意《い》親子《をやこ》ともにお請《うけ》を申せば。一町の衆中《しゆぢう》。是を取持《とりもち》。大工《だいく》は米屋にかはつた入婿《いりむこ》。たがひにむかしを語《かた》れば。女は武士の家《いへ》そだち。男《をとこ》は武士《ぶし》にまぎれなく。さもしき心《こゝろ》ざしなくて。此|母《はゝ》に孝《かう》をつくし家榮《いへさか》へて住《すみ》けるとなり ## (二)同《おな》じ子《こ》ながら捨《すて》たり抱《だい》たり 江州《ごうしう》姉《あね》川|合戰《かつせん》。永祿《ゑいろく》十二年六月二十九日に敵味|方《かた》暫《しばら》く。矢留《やどめ》をして。つかれをはらす時。陣小屋《ぢんごや》の片陰《かたかげ》より。夕日《せきじつ》の移《うつり》に見る人の目を忍《しの》び落行《をちゆく》俤《おもかげ》。遠見《とをみ》の役人《やくにん》。木田《もくた》丹後《たんご》籏下《はたした》より是を見付《みつけ》て。笹《さゝ》しげれる野道《のみち》を横手《よこて》に追《をつ》かけ。其ほどちかくなれば。たくましき女のひとつ刀《かたな》をさして。七つばかりの男子《なんし》をあゆませ。又ひとりはいまだ乳房《ちぶさ》をくはへし子を。ふところに抱《いだひ》て。はしり行《ゆき》しが。若者《わかもの》急《きう》に見えし時。抱《だい》たる乳《ち》のみ子を。用捨《やうしや》もなくなげやりて。あゆむ子を肩《かた》にひつかけ。貳町あまりも迯《にげ》のびし。捨《すて》られし子の泣《なく》を此中にもあはれみ。取あげて見しに。うつくしき娘《むすめ》なり。此子を抱《だく》ものあれば。先《さき》を追《をつ》かくるも有て。けはしく成時。柳《やなぎ》の葉《は》がくれに彼子《かのこ》をおろし。刃物《はもの》ぬきかざし。男まさりの勢《いきをひ》。さりとては。氣《け》なげなり。されども大勢《おふぜい》かけあはせければ。のがるべきやうなし。中《なか》にも物《もの》に馴《なれ》たる人の下知《げち》して。其女の命《いのち》を取事なかれと聲《こゑ》かくる。いづれもすこしの手《て》は負《をい》ながら。終《つい》に生《いけ》どり。何さま子細《しさい》有べき女と。あらくあたらず。主人《しゆじん》の陣所《ぢんしよ》に引出し。段々《だん/\》はじめを申上れば。丹後《たんご》此女にむかひ。いかなる者《もの》の子なるぞ。有まゝに申せと。ひそかにたづね給へども。只《たゞ》口惜《くちをし》やとばかりいひて。さしうつふきて。泪《なみだ》をこぼし。菟角《とかく》の事を申さねば。いよ/\不思議《ふしぎ》に存《ぞんじ》。もし大將《たいしやう》の子息《しそく》の事もと。しばしためしてみるうちに。七つばかりの子が。母《はゝ》の袖《そで》にすがりて。とゝさまの所へいにたいといふにぞ。扨《さて》は末々《すへ/゛\》の子とはしれける。汝《なんぢ》ものゝ妻《さい》なるぞ。こゝろざしにやさしき所あれば。了簡《れうけん》して。一|命《めい》を助《たす》くべし。殊更《ことさら》二人の子を。捨《すて》やうに聞《きく》事有。ふびんは。いづれか替《かは》らざる物なるに。乳《ち》をのめるを捨《すて》て。あゆめるをいたはりしは。頓《やが》て用《やう》にも立身《たつみ》のためおもふゆへかと問《とい》給へば。時に此女。貌《かほ》さしあげ。心に有のまゝを語《かた》りける。我夫《わがをつと》は竹橋《たけはし》甚九朗とて。昔《むかし》は少知《せうち》もとれる者《もの》なりしが。浪人《らうにん》して後。此|里《さと》の野夫《やぶ》なり。以前《いぜん》の乘馬《のりうま》を牛《うし》に引かへ。槍《やり》は鍬《くは》の柄《ゑ》となして。ものつくりせしに。此度《このたび》御|下《した》の百姓迄《ひやくしやうまで》もかりこまれしが。夜前《やぜん》夫《をつと》のいひ聞《きか》せけるは。此|軍《いくさ》迚《とて》も勝手《かつて》に成がたし。我《われ》は最期《さいご》を爰《こゝ》に極《きは》む。汝《なんぢ》一|所《しよ》に命《いのち》を捨《すて》て。何《なに》のせんなし。急《いそ》ぎ立《たち》のき。我《われ》とおもひかへて。二人の子を隨分《ずいぶん》成人《せいじん》致《いた》させ。名跡《みやうせき》をつがせよと。さいさん頼《たの》まれけるに。是非《ぜひ》もなき別《わか》れて。かくとりことは成《なり》ける。又|妹《いもと》を捨《すて》て兄《あに》を助《たすく》る子細《しさい》は。二人ともに夫婦《ふうふ》の中の子にはあらず。年月《としつき》かさねても。子孫《しそん》のなきを。物詫《ものわび》しく。親類《しんるい》のうちより養《やしな》ひ得《ゑ》たり。兄《あに》は夫《をつと》の甥《をい》なり。妹《いもと》はわれらが姪《めい》なれば。相果《あひはて》し跡《あと》にても。身をおもふ取沙汰《とりさた》にあへるは。女ながら口惜《くちをし》きと。義理《ぎり》つまれる心底《しんてい》を。深《ふか》く感じ。人しらず脇道《わきみち》より下人におくらせ命《いのち》を助《たすけ》給へり ## (三)人の言葉《ことば》の末《すへ》みたがよい 物《もの》には類《るい》の集《あつま》る道理《だうり》あり。むかし讃州《さんしう》の城主《じやうしゆ》につかへて。細田《ほそだ》梅丸《むめまる》とて。何枝《なんし》若衆《わかしゆ》の美花《びくは》。物ごしは初音鳥《はつねとり》も奪《うばは》れ。ちうの聲《こゑ》も出ず。まことに梅《むめ》の風《かぜ》大袖《あふそで》にもれて。行違《ゆきちが》へるさへ。人に魂《たましい》なかりき。さるによつて。主君《しゆくん》殊更《ことさら》の御|寵愛《てうあい》ふかく。春《はる》にはあへど此梅の匂《にほ》ひ聞《きく》事もならず。見る事|猶《なを》たえたり。されども人に盛《さかり》のかぎりあつて。片手《かたて》の指《ゆび》を四たびおれる年《とし》の名殘《なごり》に。元服《げんぷく》仰付《あふせつけら》れ。前髮《まへがみ》の跡《あと》をみしに。美男京細工《びなんきやうざいく》の。物いはざる業平《なりひら》に同じ。又|岡尾《をかを》新《しん》六といへる人の娘《むすめ》に。小吟《こぎん》とて十四|歳《さい》になれり。いかなる生《うま》れがはりにや。かくも又|美形《びけい》なる女の世に有事ぞかし。いにしへの美人揃《びじんそろへ》は見ぬ世の傳《つた》へ。よもや是ほど有べからず。ひとつ/\いふにたらず。いづれか身のうちに。毛頭《まうとう》ふそくはなかりき。此|男女《なんによ》を牛若丸《うしわかまる》。淨瑠璃御前《じやうるりごぜん》のごとく。世上よりいひなりて。夫婦《ふうふ》のかたらひせしと取沙汰《とりさた》いたしぬ。娘《むすめ》の年も縁付《ゑんづき》ごろなれば。あなたこなたよりいひいれけるは。うるはしき姿《すがた》なる徳《とく》ぞかし。此|息女《そくぢよ》見《み》もせぬ梅丸《むめまる》思《おも》ひこがれ。男をもたば。此人ぞと一筋《ひとすぢ》に極《きは》めて。外《ほか》の縁組《ゑんぐみ》中々|親《をや》たる人の心《こゝろ》をそむき。何とも是にあぐみて此事うり捨《すて》おかれぬ。また梅丸《むめまる》も。小吟《こぎん》をみぬ戀《こひ》して。外よりの縁《ゑん》は取あへず。年月過《としつきすぎ》しを或人《あるひと》聞付《きゝつけ》。これは似合《にあひ》たる事と取持《とりもち》。娘《むすめ》の親《をや》。岡尾《をかを》新六に内證《ないしやう》申せば。早速《さつそく》同心《どうしん》すべき事成に。存寄《ぞんじよる》子細《しさい》あれば。かさねて此方より御|返事《へんじ》申上べしと。合點《がつてん》せざる樣子《やうす》に見《み》へければ。私《わたくし》あひさつ仕うへは。御前《ごぜん》も首尾《しゆび》よく申上。世間《せけん》ともによろしくすべし。聟《むこ》にあそばしても。くるしかるまじき侍《さふらひ》と申せば。私《わたくし》の聟《むこ》には過《すぎ》ものなり。じたひ申はよの義《ぎ》にあらず。梅丸事は大殿《あふとの》御恩《ごおん》ふかき人なれば。今にも御|死去《しきよ》あれば。御|供《とも》申さるゝ心底《しんてい》兼《かね》ての覺悟《かくご》と見請《みうけ》たり。然《しか》ればいつと定《さだ》めず。又ひとり身と成事を親《をや》のふびんにて。愚《をろか》に行《ゆく》すへの事を案《あん》じけると。武士《ぶし》の心にはすこし手ぬるき申|分《ぶん》とは思ひながら。人の親《をや》の身と成ては。世のそしりをかまはず。まよふも斷《ことはり》ぞかし。其事は無常《むじやう》の世なれば。無事《ぶじ》の身にも愁《うれい》は有なり。此|縁《ゑん》是非《ぜひ》にとすゝめければ。其《その》人にまかせ約束《やくそく》して。姫《ひめ》をおくらせけるに。たがひにこがれし中なれば。ふかく契《ちぎり》をこめしうちに。大殿《あふとの》御|病氣《びやうき》にならせられ。次第《しだい》に頼《たの》みすくなく見へさせ給へば。今更《いまさら》おどろく事もなく。追腹《をいばら》の覺悟《かくご》して。妻《つま》にも此事かたりて。道理《だうり》をつめ。今生《こんじやう》の暇乞《いとまごひ》しけるに。ふかく歎《なげ》きぬべき事を思ひやりて。ひとしほふびんなりしに。すこしも其|氣色《けしき》なく。人間《にんげん》一|生《しやう》は夢《ゆめ》のごとし。殊《こと》に武《ぶ》の家《いへ》にうまれさせ給ひ。主君《しゆくん》のために。一|命《めい》をしませ給ふ御事にあらず。女の申すはおろかなれども。御|最後《さいご》いさぎよくあそばされ。名《な》をすへの世に殘《のこ》させ給へと。常《つね》よりは物靜《ものしづか》に。こん/\盃《さかづき》事して。梅丸《むめまる》に滿足《まんぞく》いたさせて後《のち》。わたくし事は女心の定《さだ》めがたし。御|最後《さいご》の跡《あと》にては又|縁《ゑん》にまかせ後夫《こうふ》を求《もとむ》る心《こゝろ》ざしといへば。梅丸聞て。思ひの外《ほか》なる心底《しんてい》。女ほどつれなきものはなしと。すこしは恨《うら》みふくみ。眼色《がんしよく》かはりて其座《そのざ》を立時《たつとき》。御|氣色《けしき》俄《にはか》にせまり。只今《たゞいま》と告《つげ》きたれば。御|城内《じやうない》にかけつけ。物靜《ものしづか》に拜顏《はいがん》して御|言葉《ことば》をかはし。かぎりの別《わか》れをかなしみ。御からを御|墓《はか》におくりて。一時《いちじ》の煙《けふり》となし奉《たてまつ》り。物《もの》の見事《みごと》に切腹《せつぷく》の首尾《しゆび》のこる所はなかりき。流石《さすが》日比《ひごろ》の身《み》の取置《とりをき》世をみぢかうみしに。迚《とて》もの事に女房《にうぼう》もたれずは。能《よき》事なるに。殘《のこ》りし女のおもひふかゝるべしと。この沙汰《さら》せしに。梅丸《むめまる》首尾《しゆび》よく切腹《せつぷく》の事聞くといなや。腹《はら》かき切《きり》。夫《をつと》の供《とも》をいたしぬ。書置《かきをき》段々《だん/\》見し人|感涙《かんるい》して。最前《さいぜん》名殘《なごり》の時。つれなき言葉《ことば》に夫氣《をつとき》をもつて。妻《つま》の事をおもひ切《きら》するためんらんと。彼是《かれこれ》此人の心中《しんちう》をかんじける。 ## (四)申|合《あは》せし事も空《むな》しき刀《かたな》 惡心《あくしん》は眼前《がんぜん》に其身にむくふ事有。むかし丹後《たんご》の國主《こくしゆ》。長岡《ながおか》幽齋《ゆうさい》藤孝《ふじたか》の家中《かちう》に。市崎《いちさき》猪《い》六郎とて大|酒《ざけ》を好《この》み。作病《さくびやう》をかまへ。武士《ぶし》の道《みち》をそむきて金銀《きんぎん》をたくはへ五十|餘歳迄《よさいまで》。妻子《さいし》ももたず。世を我《わが》まゝに暮《くら》しぬ。下人用捨《げにんやうしや》も常《つね》にかはりてつかひければ。此|家《いへ》をみかぎり。大かたは欠落《かけをち》して。朝暮《てうぼ》人に事をかゞれし。手ぢかふつかへる者《もの》に。勝《かつ》之介。番《ばん》之介とて若年《じやくねん》なるが。此二人何事をも堪忍《かんにん》して勤《つと》めけるうちに。毎日《まいにち》主人《しゆじん》恨《うら》みかさなり。暇《いとま》を乞《こへ》ど出しもせず。それより殊《こと》にきびしくつかい給へば。菟角《とかく》は身のつゞかざる道理《だうり》につまり。兩《りやう》人|内談《ないだん》極《きは》め。主《しゆ》人を今|宵《よひ》のうちにうつて立のくに成。勝《かつ》之介いへるは。二人ながら立のかずとも。此壹人は何となく跡《あと》にのこりて。のきたる者《もの》の科《とが》にすべし。それがしうつたる分《ぶん》に極《きは》め。僉議《せんぎ》をはつて後《のち》。其方は何となく年内《ねんない》は爰《こゝ》に暮《くら》し。正月十八日に都《みやこ》の清水子安堂《きよみづこやすだう》にて出合《いであひ》。同道《どう/\》して西國《さいこく》にくだり。名《な》を替《かへ》。奉公《はうこう》を勤《つと》むべしと。堅々《かた/\》申合て。其夜半《そのよはん》に子細《しさい》なく主人《しゆじん》を打て。勝《かつ》之介は立退《たちのき》ける其|明《あけ》がたに番《ばん》之介さはぎて追《をつ》かけしが。はや行《ゆき》かたしれず。いよ/\勝《かつ》之介が仕業《しわざ》に極《きはま》る所にて。方々御|改《あらため》あそばしけるにしれがたし。つね/゛\惡《あく》人なれば吟味《ぎんみ》の役《やく》人も大かたにして事濟《ことすみ》。後日《ごにち》の御|沙汰《さた》に成《なり》ぬ。此|猪《い》六郎|家《いへ》に持《もち》つたへて。平家侍《へいけざふらい》越中《ゑつちうの》次郎兵衞がさしたる。こがねづくりの名劍《めいけん》有しが。番之介是を取隱《とりかく》し。はき庭《には》の木陰《こかげ》に埋《うづ》み置《をき》ぬ。御|吟味《ぎんみ》の時。不斷《ふだん》勝《かつ》之介が預《あづか》り居《い》たるよし申あぐれば。扨は是ゆへ主人《しゆじん》をうちけるよと。はつと此|沙汰《さた》有ける。番《ばん》之介が心入には。兩人《りやうにん》浪人《ろうにん》のうちのたよりにも成ぬべき物と。出來《でき》分別《ふんべつ》成しが。此事勝之介|傳聞《つたえきゝ》て。さりとは無念《むねん》盜《ぬす》人の名《な》を取事《とること》。末代《まつだい》の恥辱《ちじよく》なり。爰《こゝ》はのがれぬ所とおもひさだめ。京都《きやうと》より二たび歸りて。番《ばん》之介が親《をや》のもとに晝《ひる》忍《しの》び入て。名乘《なのり》かけて切ふせ其身も即座《そくざ》に相果《あいはて》しが。書置《かきをき》のこして。段々《だん/\》はじめの所存《しよぞん》顯《あらは》れけると也 ## (五)身がな二つ二人の男に うかれめの身の定《さだ》めがたく。つながぬ舟にたとへて浪の枕《まくら》を千人《せんにん》にかはし。紅舌萬客《こうぜつばんかく》になめさせ。ひとつの心を其日の男|好《す》けるに持《もち》なし。笑《わら》ふ時有。泣折《なくをり》有。さま/゛\替《かは》つた浮世《うきよ》の物語《ものがた》り。聞流《きゝなが》せる年月を。なげきながらの歌《うた》のふしにおくりて。下《しも》の關《せき》の勤《つと》めも今一とせにたらずなりて。生國《しやうごく》筑前《ちくぜん》の蘆屋《あしや》なる親里《をやざと》に歸《かへ》るを樂《たの》しみに思ふ折節《をりふし》。牢人《らうにん》らしき男の。言葉《ことば》は關東《くはんとう》の人めきて。世をしのぶなりふりして。いつの比よりか。かりそめにあひなれ。いとしさ又もなく。戀《こひ》をかさねしうちに。此男今は心底《しんてい》のこさず語《かた》りけるは。我《わが》本國《ほんごく》は出羽《では》の庄内《しやうない》の者《もの》。荒島《あらしま》小助といひしが。子細《しさい》あつて。ほうばいの億住《をくずみ》源太兵衞うちて。首尾《しゆび》よく所を立のき。今|爰《こゝ》にしるべの町人を頼《たの》み忍《しの》びけるは。一|子《し》源十郎|我《われ》をねらひ。諸國《しよこく》をめぐると聞から身隱《みかく》し遊山《ゆさん》所もはゞかるなりと。段々《だん/\》物語《ものがたり》して。天理《てんり》にて源十郎にうたれても。有|時《とき》は。ぼだいをとい給はれと。春日《かすが》の御|作《さく》の守《まも》り觀音《くはんをん》給はりければ。かぎりのあゆにおもはれてかなしく。泪《なみだ》にしづみて別《わか》れしが。その後《のち》は日々《ひゞ》にうとく成て。たづね給はぬは世にうき浪《ろう》人ゆへかとおもひやられ。いとゞ口惜《くちをし》く。日毎《ひごと》に状通《でうつう》して。たまさかにあふ時は。枕《まくら》をさだめず泪にして。一日を暮《くら》しぬ。其後又|旅人《りよじん》雨《あま》やどりの浮晴《うきはら》しに。酒《さけ》の友《とも》と成けるに。此男も又此|定家《ていか》にふかくなづみて。長崎《ながさき》までくだける舟《ふね》よりあがり。主《しう》なしの身の樂《らく》は。是ぞと爰《こゝ》に日をおくり。夜《よ》をこめて女郎のためによき事ばかりつのりて定家《ていか》も又をのづからに氣《き》を移《うつ》して。小助事は忘《わす》れし。是|不心中《ぶしんでう》にはあらず。つねの女さへ時《とき》にしたがふならひなれば。まして流《ながれ》の身として。定家《ていか》はきどくの女ぞかし。小助|尾羽《をは》をからして。あふべきたよりなきを。女郎のかたより揚屋《あげや》の首尾《しゆび》をとゝのへしが。今は了簡《れうけん》つきて。親《をや》かた吟味《ぎんみ》つよく。しのびて逢《あふ》事も絶《たへ》たり。又源十郎も此所の遊興《ゆうけう》に路金《ろきん》つきて。跡《あと》へも先《さき》へも行《ゆき》がたし。諸神《しよじん》に大願《だいぐはん》かけて。敵《かたき》打身のふかくぞかし。是も契《ちぎり》をかさねてから。子細《しさい》をかたりて聞ば。小助身のうへの事にうたがひなし。定家《ていか》身にふるひ出て。それも又此人もいとしさ替《かは》る事なし。何ともさしあたつてのめいわく。大かたならぬ因果《ゐんぐは》なれば。先《まづ》此事小助|殿《どの》に通《つう》じて。此所を立のき給へる文《ふみ》したゝめし時《とき》。源十郎|小者《こもの》。小助|有家《ありか》を見出し。はしり來《きたつ》て。けはしくやうすかたり。女郎とおもひ何の遠慮《ゑんりよ》もなく内談《ないだん》せしは。其|家野《いへの》ばなれこそ幸《さいわひ》なれ。松の茂《しげ》みに木隱《こがくれ》て。人家《じんか》を出して。名乘《なのり》かけ願《ねが》ひのまゝにうつべきと。着込鉢卷《きごみはちまき》して刀《かたな》の目|釘《くぎ》をあらため。けふぞおもひの晴《はら》し所。女郎も此身をいはふてたべ。敵《かたき》をうつ縁《ゑん》と成。此程|爰《こゝ》に足《あし》をとめたる仕合ぞかし。追付《おつつけ》めでたふ御げんに入べし。首途《かどで》盃《さかづき》さし給へといふ。是非《ぜひ》なく常《つね》より機嫌《きげん》なる貌《かほ》にして。三|獻《ごん》の酒《さけ》も心を付て大事の前《まへ》なればとひかへて。祝義《しうぎ》をふくみて暇乞《いとまごひ》していさみ/\て揚《あげ》屋を出て行。程《ほど》なふ町はづれの木陰《こかげ》にしのび。小助がやうすを見合けるに時節《じせつ》と借家《かりいへ》を出て。何心もなふ松原《まつばら》にさしかゝりしを源十郎|進《すゝ》み出て。小助見わすれはせまじ億住《をくずみ》源太兵衞が一|子《し》源十郎|親《をや》の敵《かたき》うつ太刀《たち》成と。飛《とび》かゝれば。小助しさつて拔合《ぬきあはせ》。暫《しばら》く切むすぶうちに。女のあゆみにはかひ/゛\しく。定家《ていか》此|中《なか》に飛込《とびこめ》ば。兩《りやう》人|目《め》と目を見合ける。定家《ていか》は心のほどを書殘《かきのこ》して。二人の勝負《しやうぶ》つかざるうちに。すみやかに自害《じがい》して果《はて》ける。たがひに大事の中にも。是はふびんと泪《なみだ》ぐみしが。其|死骸《しがい》を脇《わき》にみて。人|亂《みだ》れて手を負《をい》。兩人ともに相《あひ》うちにして。命をはりぬ。小助がはたらき。源《げん》十郎が殘念《ざんねん》。定家《ていか》が心ざし。わけて三所に面影《おもかげ》殘《のこ》り見し人是を世語《よがた》りのなみだ # 武家義理物語《ぶけぎりものかたり》 卷六 ##       目録《もくろく》 一 筋目《すぢめ》をつくり髭《ひげ》の男《をとこ》        蜷川《にながは》のながれをにごさじ        まことあらはれ出る法師《ほうし》の事 二 表向《おもてむき》は夫婦《ふうふ》の中垣《なかがき》        年寄《としより》男も縁《ゑん》かや京|住《ずま》ひ        神鳴《かんなり》の夜|業平《なりひら》の昔《むかし》を思ふ事 三 後《のち》にぞしるゝ戀《こひ》の闇打《やみうち》        主命《しゆめい》と親《をや》の敵《かたき》いづれか        西《にし》の宮《みや》の落馬《らくば》養生《やうじやう》の事 四 形《かたち》の花とは前髮《まへがみ》の時        万里《ばんり》へだてゝ心中の程        たのもしき侍《さふらい》大坂に有事 ## (一)筋目《すぢめ》をつくり髭《ひげ》の男《をとこ》 山城《やましろ》の宇治《うぢ》の里《さと》に。身を隱《かく》して住《すめ》る浪人《らうにん》あり。當分《たうぶん》の世《よ》わたりに。壺《つぼ》の入|日記《につき》など書《かき》て。あなたこなたの氣《き》に入。年月《としつき》爰《こゝ》にかさねけるに。むかしはいかなる人ぞとゆかしかりき。ひさしく先祖《せんぞ》の事を語《かた》らざりしが。有|時《とき》所の人の集《あつまり》て。紫野《むらさきの》の一休《いつきう》は名僧《めいそう》成《なり》けると。咄《はな》しのついでに。蜷川《にながは》新右衞門は文武《ぶんぶ》の人と聞傳《きゝつた》へて譽《ほめ》ぬれば。彼浪人《かのらうにん》すこし歌學《かがく》有て。其身《そのみ》花車《きやしや》にそだりければ。風與《ふと》出來《でき》心にて。筋《すぢ》なき事を申出し。それがしは蜷川《にながは》新九郎とて。新右衞門が孫《まご》なるとかたりぬ。兼《かね》て新九郎と名《な》をよべば自然《しぜん》の道理《だうり》に叶《かな》ひ。をの/\うたがひはれて。扨《さて》は。蜷川《にながは》の流《ながれ》ほど有て。万事《ばんじ》しほらしく見えけると。それより後《のち》は世間《せけん》に此人をおろかにせずして。新右衞門|孫《まご》といひふらしければ。いよ/\新九郎|子細《しさい》を作《つく》りて蜷川《にながは》代々《だい/\》の系圖《けいづ》をこしらへ見せける。此事世に沙汰《さた》して。岐阜《ぎふ》中納言《ちうなごん》秀信公《ひでのぶこう》に身體《しんだい》すみて。武藝《ぶげい》は外《ほか》になし。歌道《かだう》もつぱらに心がけしが。是もまことすくなく。蜷川のすゑといへる。名聞《めうもん》ばかりに。面《おもて》むきをみせかけ。内證《ないしやう》は色《いろ》にまよひ。もとより惡心《あくしん》の侍《さふらひ》なり。其比《そのころ》蜷川《にながは》次郎丸とて新右衞門|筋目《すぢめ》にまぎれなき人。わがみひとつを浮世《うきよ》と捨《すて》て。十八|歳《さい》より出家《しゆつけ》して。津《つ》の國《くに》金龍寺《こんりうじ》の山|蔭《かげ》。古曾部村《こそべむら》といふ所に。南《みなみ》を見|晴《はら》し草葊《さういん》をむすび。笹《さゝ》の細道《ほそみち》わけかねて。木末《こずへ》の夏《なつ》と成にけり。能因法師《のうゐんほうし》の詠《ながめ》殘《のこ》されし。生駒《いこま》の山を雲《くも》の峯《みね》。かさなつて。北《きた》は櫻《さくら》の盛《さかり》と氣色《けしき》をうたがふ入相《いりあひ》のかね。涼しき風に無常《むじやう》を觀《くはん》じ。あながち佛《ほとけ》のみちも願《ねが》はず。朝暮《てうぼ》和歌《わか》に心をよせ。折ふしは笙《しやう》の音《ね》をたのしみ。無我《むが》にして山居《さんきよ》のおこなひ。殊勝《しゆしよう》さ此人の心ぞかし。其頃《そのころ》都《みやこ》白河《しらかは》のほとりに。是も身を歡樂《くはんらく》に取置《とりをき》。明日《あす》の事をしらず。けふまで暮《くら》されける星合《ほしあひ》主膳《しゆぜん》といふ人。入道《にうだう》して。星薄坊《しやうはくぼう》と申せしが。此|法師《ほうし》の男《をとこ》ざかりに。我《われ》若道《じやくだう》のむすび。世におるよりふかかりき。其《その》よしみとて。今もわすれず。爰《こゝ》にたづねて。過にし事をかたりなぐさみ。落葉《おちば》は煙《けふり》の種《たね》と成。釣釜《つりがま》に素湯《そゆ》沸《たぎ》らして。咽喉《のんど》のかはきをやめて。貧家《ひんか》の氣散《きさん》じ是ぞと宵《よひ》の間《ま》もなく明がたに別《わか》れ。京都《きやうと》に歸《かへ》りさまに。宇治《うぢ》に住《すみ》たる浪《らう》人の噂《うはさ》。蜷川氏《にながはうぢ》の筋《すぢ》なき事をいひ立《たて》にして。岐阜《ぎふ》秀信公《ひでのぶこう》につかへて。高知《かうち》をくだし給はり。我世《わがよ》と心にまかすよしを語《かた》り。いかにしても惡《にく》き仕方《しかた》といひ聞《きか》せけるに。次郎丸|入道《にうだう》何となくうち笑《わら》ひて。世の中にはかゝるまぎれ物おほし。我等《われた》の先祖《せんぞ》の名をかりて武家《ぶけ》を立るも口惜《くちをし》き所存《しよぞん》なれどもその者《もの》が身をたすかるたよりにあらば。あらたむる事なかれと。大やうにいひ捨《すて》其通《そのとを》りに濟《すみ》ける。其後《そののち》彼《かの》新九郎身を作《つく》りものなれば。諸事《しよじ》に。武家《ぶけ》の作法《さほう》ちがひて。一|家中《かちう》是をうとむ折から。天命《てんめい》つきて大|寄合《よりあひ》の座《ざ》を惣立《そうだち》の時。岩田《いわた》外記之進《げきのしん》。刀《かたな》とさしかへて屋形《やかた》に歸《かへ》りぬ。外記之進は跡役《あとやく》にて。心|靜《しづか》い立出。刀《かたな》かけをみしに。我刀にはあらず。是は誰《たれ》の腰《こし》の物《もの》ぞと。茶《ちや》の番《ばん》の坊主《ぼうず》にたづね給ひしに。革柄《かはつか》に蟹《かに》の目貫《めぬき》。無地《むじ》の鐵鍔《てつつば》に。くり色《いろ》の刻《きざ》み鞘《ざや》。ふだん是を見|馴《なれ》て。たしかに蜷川《にながは》新九郎殿の刀《かたな》といふ。然《しか》らば汝《なんぢ》ひそかに行《ゆき》て。其|斷《ことはり》を申。替《かへ》てまいれといひ付られ。既《すで》に新九郎|屋敷《やしき》に立越。此|有増《あらまし》を通《つう》じけるに。あやまつて何の子細《しさい》もなき事を。此刀さしあたつての無分別《むふんべつ》。それがしが腰《こし》の物《もの》にあらず。近比《ちかごろ》率爾《そつじ》成事を申しつけると。存知《ぞんじ》の外《ほか》成|返事《へんじ》に。使《つかい》の坊主《ぼうず》迷惑《めいわく》して。此段|外記《げき》之|進《しん》に申せば堪忍《かんにん》ならず。吟味役《ぎんみやく》人にいひ屆《とどけ》て。僉議《せんぎ》に成ぬ。然《しか》も外記《げき》之進|刀《かたな》は來國光《らいくにみつ》が作《さく》なり。新九郎|刀《かたな》は平安城《へいあんじやう》義國《よしくに》と銘《めい》は有ながら正《たゞ》しからず。彼是《かれこれ》不首尾《ふしゆび》に極《きは》まり。新九郎|義切腹《ぎせつぷく》仰せ付られ。皆《みな》指《ゆび》をさし。籠乘物《らうのりもの》に押《おし》入らるる面影《おもかげ》を笑《わら》ひぬ。かゝる時比のり物のむかふより。出家《しゆつけ》一人かけつけゝるををの/\あやしく思ひ。中々《なか/\》命乞《いのちごひ》は叶《かな》はざる事なるに。無用の法師《ほうし》の出所と。先《さき》をはらへば。案《あん》の外《ほか》なる訴訟人《そせうにん》。わたくしは蜷川《にながは》新右衞門が子細《しさい》次郎丸といへる者の入道《にうだう》なり。然《しか》るに此新九郎。筋《すぢ》目跡かたもなき事を申上。御|家《いへ》に濟|事《こと》心外《しんぐはい》ながら此身ゆるし置處《をくところ》に。此たびの惡《あく》|先祖《せんぞ》の名《な》をくだす事。末代《まつだい》家《いへ》のちじよくなれば堪忍《かんにん》ならず。是ぞ我家の系圖《けいづ》と。新右衞門自筆の物をさしあぐれば。また此|義《ぎ》御せんさくあるに。是も新九郎|惡名《あくみやう》にまぎれなく。御|仕置《しをき》替《かは》つて。うち首《くび》にあひけると也 ## (二)表《おもて》むきは夫婦《ふうふ》の中垣《なかがき》 文祿《ぶんろく》の比《ころ》都《みやこ》のにし東寺《とうじ》のほとりに。常《つね》にかはりてふしぎなる夫婦《ふうふ》の人あり。縁《ゑん》ほどおかしき物《もの》はなし。其|男《をとこ》は七十|余《よ》にして。かしらに黒《くろ》き筋《すぢ》なく。浦島《うらしま》がいにしへを。今みる親仁《をやぢ》なるに。其女は二八にまだしき春《はる》の山。花《はな》の口《くち》びるより物いふかとあやまたる程《ほど》の艶女《ゑんぢよ》。すこし物ごしにこなまりあつて。四|國《こく》そだちとはしれける。京の女ならば形《かたち》慢《まん》じて男にくみをすべきに。田舍《いなか》人の律儀《りちぎ》さ。みぐるしき人に添《そふ》て月日をおくられけると。是をかんずる人はなく。其|美形《びけい》をせめてみる事をなげきしに。此|男《をとこ》年はよれども。行義《ぎやうぎ》に暫時《ざんじ》も油斷《ゆだん》せず。鮫鞘《さめざや》の中脇指《ちうわきざし》。常住反《じやうぢうそり》かへして目にかどを入。命《いのち》をなんとも思はぬ有さま。人おのづからおそれて。其内にたよるものんかりき。朝夕《てうせき》のいとなみ。何するとも見えず。米《こめ》をかしき釜《かな》の下燒《したたく》までも。其女の手にはかけず。男の業《わざ》には。にあはざる事をもして。女をいたはりける。そも/\此|夫婦《ふうふ》と見えし人の生國《しやうこく》は。豫州《よしう》の武士《ぶし》成《なり》しが。金子合戰《かねこかつせん》。天正《てんしやう》のみだれに。此|息女《そくぢよ》の父《ちゝ》柳井《やない》右近《うこん》うち死《じに》し給ひ。御|妻子《さいし》流浪《るらう》あそばしけるを。我《われ》腰《こし》ぬけ役の留守番《るすばん》頼《たの》ませ給へば。せめての働《はたらき》に人々|隱國《いんこく》いたさせ。世《よ》しづまつてのち播州《ばんしう》人|丸《まる》の里にしるべ有て。一とせを暮《くら》しけるうちに。此|母《はゝ》。御病死《ごびやうし》。うき世とは存《ぞん》じながら。是ほどかなしき事。身をおもふ日影者《ひかげもの》の何處《いづく》へも道《みち》せまく。此|姫子《ひめこ》をつれて。老《をい》の浪《なみ》のよるべ定《さだ》めず。廻國《くはいこく》して。やう/\今の都《みやこ》に來《き》て。うき住《すま》ひ。世間《せけん》は夫婦《ふうふ》の分《ぶん》にいたせしをそれなれども。姿《すがた》すぐれさせ給へば。諸人《しよにん》の執心《しうしん》うたてく。戀《こひ》をやめさせんがために。かく夫婦《ふうふ》とは申ならはしける。晝《ひる》は女房《にうぼう》どもといへば。息女《そくぢよ》もかしこくて。旦那々々《だんな/\》といひなし給へり。此心やすきより姫《ひめ》いつとなく。まことの妻《つま》のごとくおもひなして。うちとけさせ給《たま》ふも。此|男《をとこ》身をかため。武士《ぶし》の心底《しんてい》を立。ゆめ/\それに氣《き》をうつさず。さりとはむづかしきあひ住《すみ》の年《とし》をふりぬ。折ふし夏《なつ》の雨《あめ》しきりに。宵《よひ》より鳴神《なるかみ》ひゞきわたりて。つねさへあばらや。殊更《ことさら》にこぼれて。軒《のき》の雫《しづく》もいたくふり込《こみ》。南風《みなみかぜ》はげしく板戸《いたど》もかけがねはづれて。外《そと》のひかりのおそろしく。内のともし火《び》影消《かげきへ》て。女心にひとしほ物かなしく。頼《たの》む人とて親仁《をやぢ》なれば。ゆたかにふしたる懷中《ふところ》にかけ入せ給ひ。こはやとしがみつかせ給ひ。やことなき御|肌《はだ》の身にさはれば。觀音經《くはんおんぎやう》をどくじゆして。隨分《ずいぶん》心《こゝろ》を移《うつ》さゞりしが。神鳴《かみなり》も落《をち》かたしれず。おさまり。雨《あめ》もをだやみて。壁下地《かべしたぢ》のしのべ竹《だけ》に。白玉《しらたま》の取添《とりそふ》も。物あはれにやさしく見えて。むかし男《をとこ》の女をだまし。鬼《をに》一|口《くち》にかみころされたしと思ひ入たる。闇《やみ》の夜《よ》も正《まさ》しくこんな面《おも》かげならめと。親仁《をやぢ》老《をひ》をおこして。人のしる事にはあらず。りちぎも物によれとひだりの足《あし》をうちもたせけるが。弓《ゆみ》や八まんあやまつたり。いかにしても道《みち》をそむける。扨《さて》もあさましき心底《しんてい》かなと。我《われ》と惡心《あくしん》ひるがへしてそれよりむく起《をき》にして立さり。觀念《くはんねん》のあかり窓《まど》のもとにして。其|夜《よ》を過《すご》し。其後《そののち》はいよ/\をそれて。此|息女《そくぢよ》を見立まつりしに。其比《そのころ》高家《かうけ》のかたより美女《びぢよ》御たづねあそばされしに。都《みやこ》の事なれば。美君有べき物成しに。いづれもすこしづつのさはり有て。みやづかひの望《のぞ》み絶《たへ》ける。然《しか》るに彼息女《かのそくぢよ》御たづねの年の程《ほど》なれば。よそほひつくろふまでもなく。御目に掛《かけ》しに是につゞきて又有べからずと。僉議《せんぎ》極《きは》まりての後《んち》。筋目《すぢめ》をたゞし給ふに。父母《ぶも》ともに歴々《れき/\》の武士《ぶし》なれば。是に子細《しさい》はなかりき。されども此親仁《このをやぢ》と夫婦《ふうふ》のかたらひなしけるとの取沙汰《とりさた》。第《だい》一のさはりと成。此首尾《しゆび》かはりて。彼息女《かのそくぢよ》を歸《かへ》させ給ふに相《あひ》見えし時。此|親仁《をやぢ》所存《しよぞん》のだん/\言上《ごんじやう》申せど。是ぞ縁者《ゑんじや》の證人《しやうにん》と。誰《たれ》か取あげ給ふ御方もなかりし。身にあやまりのなき事は後日《ごにち》あひしるゝ御事あり。此たび官女《くわんぢよ》にそなはらざりしは縁《ゑん》づくなれども。下人の不作法《ぶさほう》とは。世の聞《きこ》へめいわく至極《しごく》の所なり。是非《ぜひ》に今一たび御|取持《とりもち》頼《たの》みたてまつる。わたくしなき誓文《せいもん》成《なり》と。ひだりのかいなを自《みづか》らうちをとして。泪《なみだ》に沈《しづ》みぬ。此心ざしをかんぜさせ給ひ。御うたがひ晴《はれ》させられ。此|美女《びぢよ》御《ご》てうあひの御|枕《まくら》のあした。なを/\身の曇《くもり》をさつて月の都《みやこ》の只中《たゞなか》に住《すみ》給ひぬ ## (三)後《のち》にそしるゝ戀《こひ》の闇打《やみうち》 何事《なにごと》もさし當《あたつ》ての分別《ふんべつ》はかならず後悔《こうくはい》或人《あるひと》のいへり。けふを明日《あす》の沙汰《さた》に延《のべ》。其|道理《だうり》至極《しごく》の時《とき》。是非《ぜひ》をたゝすを。まことの武士《ぶし》といへり。それも事によるべし。其頃《そのころ》加賀《かゞ》の國《くに》大聖寺《だいしやうじ》の城主《じやうしゆ》山口《やまぐち》玄蕃頭《げんぱのかみ》。家來《けらい》に千塚《ちつか》藤五郎といへる男《をとこ》。十六|歳《さい》の時。父《ちゝ》五左衞門を闇《やみ》うちにあひて。其|時分《じぶん》いろ/\御せんさくあそばしけるに。相手《あいて》しれがたく。其|通《とを》りに此|沙汰《さた》をはつて後《のち》。藤五郎に仰渡《あふせわた》されしは隨分思案をめぐらし。父《ちゝ》をうつたる者《もの》。相《あひ》しるゝ節《せつ》。此本望《このほんもう》をたつすべし。汝《なんぢ》が身にしても是非《ぜひ》なき仕合なり。すこしもひけたる所なし。敵《かたき》住居《ぢうきよ》見《み》さだめ次第《しだい》に。暇《いとま》をとらすべし。先《まづ》それまでは藤五左衞門|名跡《めうせき》相違《さうい》なく。大番組《あふばんぐみ》に入て相|勤《つとめ》申せとの上意《じやうい》。有がたく其|通《とを》りに人もゆるして若年《じやくねん》にして大役《たいやく》つとめかねる武士《ぶし》にあらず。流石《さすが》千塚《ちつか》の家《いへ》を繼《つぐ》べき心ざし見えけると。各々《をの/\》すへたのもしく思ひぬ。程《ほど》なく六七ヶ年すぎて。血氣《けつき》さかんになつて。親《をや》うちたる者《もの》の行《ゆく》衞を朝暮《てうぼ》心がかりに過《すぎ》し。是をうたでは武士《ぶし》の一ぶん立《たゝ》ざる所《ところ》と。諸神《しよじん》に宿願《しゆくぐはん》をかけて。此事ばかりを祈《いのり》て。今にさだまる妻子《さいし》も極《きは》めず。現《うつゝ》にも夢《ゆめ》心にも。親《をや》の面影《おもかげ》をみる事千たびなり。ある時思ひもよらぬ事に。闇《やみ》うちの相手《あいて》しれける。我母《わがはゝ》人|相果《あいはて》られし後《のち》。父《ちゝ》藤五左衞門いまだ流年《りうねん》さかんなれば。後婦《こうふ》はもとめずして。美形《びけい》の妾者《てかけもの》を置《をき》て老樂《をいらく》の寢屋《ねや》の友《とも》として。おもしろ酒《ざけ》も折ふしは亂《らん》におよび。日ごろは武道《ぶだう》の男なれども。女にはよはき心ざしをみられ。いづれ智愚《ちぐ》のわかちもなく。色道《しきだう》にまどはぬはなかりき。そも/\此女は京そだち成しが。丹波《たんば》の篠山《さゝやま》に縁組《ゑんぐみ》して尾瀬《をのせ》傳七といへる浪人《らうにん》とかたらひしに。次第《しだい》に尾羽《をは》うちからして。渡世《とせい》成難《なりがたく》。此女の手道具《てだうぐ》まで代《しろ》なして。今は了簡《れうけん》つきて。むごき仕《し》かたは。暇乞《いとまごひ》なしに文書捨《ふみかきすて》て。其身はいづくに行《ゆき》しもしれずなりにき。女心にかなしく是をなげくに甲斐《かひ》もなし。道《みち》を立《たて》てひとりくらせば。かつめいにおよび。身を墨染《すみぞめ》になす事も。一|心《しん》より發《をこ》らぬ出家《しゆつけ》もいやなれば。世渡《よわた》りのたよりばかりに。又|奉公《はうこう》勤《つと》めける。傳七二たび丹州《たんしう》にかへり女の成行《なりゆく》物語《ものがたり》を聞《きゝ》てなを執心《しうしん》やむ事なく。何とぞ主人《しゆじん》の手前《てまへ》を出てかへり。縁《ゑん》はつきせねば。此事はやくとたよりをもとめ。忍《しの》びて文《ふみ》つかはしけるに。此女見るまでもなく。かひやりて。年比《としごろ》のうらみ。殊更《ことさら》別《わか》れさまの難義《なんぎ》。思ひ出すさへ身ぶるひして。さりとは其男《そのをとこ》うらめしやと。むねをいためけるも道理《だうり》につまれり。さるによつて返事《へんじ》せざる事をうらみ。扨は今|勤《つと》めける主人《しゆじん》。てうあひのあまり外《ほか》を。せきて其身を自由《じゆう》させぬと見えたりと。一|筋《すぢ》に思ひ極《きは》め。段々《だん/\》有家《ありか》たづね。加州《かしう》に立越《たちこへ》。おもひもよらざる藤五左衞門|恨《うらみ》て。うつてのきけるが。此女|主人《しゆじん》是非《ぜひ》も浮世《うきよ》の別《わか》れに其《その》なげきやむ事なく。年月の御|厚恩《こうをん》わすれず。せめては御ぼだいとはんため。都《みやこ》の下賀茂《しもかも》に。柴《しば》の戸《と》をさしこめ。姿《すがた》のかざりを切て捨《すて》。後《のち》の世《よ》を願《ねが》ひしに。傳七又|爰《こゝ》にたづね入て。かく佛《ほとけ》の形《かたち》の衣《ころも》をけがし。むかしを今もつてなげく。思ひよらずやと。あらくいへるを取て押《をさ》へさしころし。其《その》まゝ草庵《さうあん》出て行。此女の弟《をとゝ》大藏といへる者《もの》。前髮《まへがみ》ざかりの小草履取《こざうりとり》。東山《ひがしやま》南禪寺《なんぜんじ》の末寺《まつじ》に奉公《ほうこう》せしが。是を聞付。深《ふか》くなげきぬ。しばらく思案《しあん》して。此程《このほど》牢人《らうにん》の傳七。此所に無理《むり》入せしと。姉《あね》の語《かた》られけるが。正《まさ》しく此|者《もの》の仕業《わざ》うたがひなし。扨《さて》は藤五左衞門殿うちけるも。傳七に極《きは》まれり。命《いのち》を取事|小腕《こうで》に叶《かな》はざれば。是より行て。藤五郎殿に申合せて。敵《かたき》をうつべしと。加賀《かゞ》の國《くに》にたづね行はじめの子細《しさい》をかたり。尾瀬《をのせ》傳七|生國《しやうこく》は。播州《ばんしう》龍野《たちの》の者《もの》なれば。かならず國元《くにもと》に住居《じうきよ》さだまつたる事なれば、いそぎ播磨に御|下向《げかう》あそばし。傳七うち取。御|本望《ほんもう》達《たつ》し給へ。其|男《をとこ》たとへ身に墨《すみ》をぬればとて。それがし日比《ひごろ》に目じるし有と。いさめければ。藤五郎よろこびかぎりもなく。今宵《こよひ》のうちに用意《やうい》して明日《あす》は御|暇《いとま》ねがひ罷《まかり》下るべし。旅用意《たびやうい》仕れと。ひそかに跡《あと》の義《ぎ》申付る所へ。家老中《からうちう》御|用《やう》ありとの御|使《つかい》。早速《さつそく》登城《とじやう》仕れば。備中《びちう》の福山《ふくやま》へ御|使者《ししや》に仰《あふ》せ付《つけら》れ。はじめての役目《やくめ》有難《ありがたき》仕合と。お請《うけ》を申うちにも。敵《かたき》の事を飛立《とびたつ》ほどに思ひ入ふかし。主命《しゆめい》んれば。是非《ぜひ》もなく。先《まつ》此たび相勤《あひつとめ》て。後日《ごにち》の沙汰《さた》と。大藏《だいざう》も同道《どう/\》して。備中《びちう》にくだりしが。津《つ》の國《くに》西《にし》の宮《みや》の宿《しゆく》に付ば。所の人立かさなり。落馬《らくば》して旅人《りよじん》のあやうかりとて。氣《き》つけよ。水《みづ》よといふ聲《こゑ》さはぎぬ。大藏是をみて。あれはかたきの傳七なりと。身をふるはして申上ぐる。藤五|郎《らう》も是《これ》はと。さしあたつて分別《ふんべつ》し。主命《しゆめい》の御|用《やう》の時。たとへ無事《ぶじ》の身成とも。うつべき所にあらず。殊更《ことさら》かゝる難病《なんびやう》なをもつてと。大藏に義理《ぎり》をいひ聞せ。所の人に妙藥《めうやく》をおしへ。此うち身には。鹿《しか》の袋鹿《ふくろづの》を紺屋《こんや》の糊にて摺《すり》まぜて付と。其まゝいたみなさる物と。念比《ねんごろ》に病人《びやうにん》の事をいたはり。正氣付《しやうきつく》に子細《しさい》はあらじ。其|時分《じぶん》是をみせよと頼《たの》み。彼文《かのふみ》をあひわたしければ傳七此|心底《しんてい》を感《かん》じ。まこと有|武士《ぶし》は各別《かくべつ》なり。世界《せかい》にながらへてせんなし。もと某《それがし》が惡心《あくしん》身に覺《おぼへ》て。加賀《かゞ》に立越《たちこへ》。其身の惡事《あくじ》。西《にし》の宮《みや》の首尾《しゆび》さりとは有がたし。それゆへ御|親父樣《しんぷさま》をうつたる所にまかりて。自害《じがい》仕るなり。とゞめをさして給はれと。心中《しんちう》の通《とを》り札《ふだ》に書《かき》しるしておもひ切たる最期《さいご》。藤《とう》五郎がうたざるは。うつにまさりし武道《ぶだう》と理《り》をせめて。天晴《あつぱれ》神妙《しんめう》成《なる》心入と國中《こくちう》に是を譽《ほめ》ける ## (四)形《すかた》の花とは前髮《まへがみ》の時 人もひと盛《さかり》は花《はな》。木村《きむら》長門守《ながとのかみ》めしつかひに。松尾《まつを》小膳《こぜん》とて。形《かたち》を奉公《はうこう》の種《たね》として。衆道《しゆだう》時《とき》めく十六|歳《さい》より此|家《いへ》に勤《つと》めける。生國《しやうこく》は。石州《せきしう》濱田《はまだ》にて杉山《すぎやま》市左衞門といへる人と。念友《ねんゆう》のかたらひをなしけるが。出世《しゆつせ》なれば。別《わか》れを惜《をし》き戀路《こひぢ》を見をくりて。市左衞門すゝめて上がたにのびしける。其心ざしたのもし。山海万里《さんかいばんり》はへだてつれども。文にて契《ちぎり》をこめて。朝夕《てうせき》其人の事を忘《わす》れずして。ひとりは目もあはず。過《すぎ》にしたはふれ枕《まくら》ゆかしき折ふし。鴫野《しぎの》宇右衞門といへる侍《さふらひ》。執心《しうしん》をかけて状《てう》付られしに。情《なさけ》心はなれて存《ぞん》ずる子細《しさい》あつて外《ほか》への念比《ねんごろ》おもひもよらず。かさねては此|義《ぎ》御無用《ごむやう》御|返事《へんじ》も仕るまじきといひやれば。宇右衞門せきて首尾《しゆび》見合。小膳《こぜん》がへやにたづね人。是非《ぜひ》を極《きは》めて身のさはりを。無理《むり》に吟味《ぎんみ》をする。小|膳《ぜん》すこしも驚《をどろ》く氣色《けしき》なく。我《われ》おぼしめしての御事。あだには聞《きか》ず。然《しか》れども國元《くにもと》にていひかはせし人有て。誓紙《せいし》も。是見させ給へ。いかにしても此|義理《ぎり》立ける。そも/\の事ども内證《ないしやう》ともに語《かた》りて。今より其方さまを頼《たのみ》入。衆道《しゆだう》のとてもかなひがたし。誠《まこと》の兄弟《きやうだい》ぶんにおぼしめされ。御|引廻《ひきまは》し預《あづか》り度《たき》と理《り》をつくして申せば。宇右衞門《うゑもん》是を聞分《きゝわけ》。それよりして如才《じよさい》なく小膳うしろみを各別《かくべつ》なる心づかひをいたせり。又|玉水《たまみづ》茂兵衞といふ侍《さふらひ》。これも状《ぢやう》を付《つけ》てなげくうちに。宇右衞門したしく語《かた》るを見出し。以前《いぜん》より執心《しうしん》かくる我等《われら》事は捨置《すてをき》給ひ。後《のち》に申せし人と。御|念比《ねんごろ》あそばす事。いかにしても心外《しんぐはい》なり。何ほどいひわけ有ても堪忍《かんにん》成《なり》がたし。とかいふにをよばず。うちはたすべしと。思ひ切て見へし時。小膳も今は了簡《れうけん》なく。さやうに仰《あふ》せらるゝとても。此方には毛頭《まうとう》くもりなき事也。然れども命《いのち》を惜《をし》むもあらず。いかにもお相手《あひて》に成べし。しかし小腕《こうで》なれば。其方の御|太刀下《たちした》に罷成《まかりなる》はしれたる事。跡《あと》の義《ぎ》は見《み》ぐるしからぬやうに頼《たの》みたてまつる。扨《さて》出合《であい》は。いつ比と申せば。茂兵衞いよ/\すゝみて。十九|日《にち》の夜《よ》こそ宵闇《よいやみ》なれ。初夜《しよや》より前《まへ》に玉造《たまつくり》の芝原《しばはら》に參《まい》り合。死出の旅路《たびぢ》の二人づれ。浮世《うきよ》の月をみるも。ひとへ二日なれば。身の取置心|靜《しづか》にあそばせと。たがひに禮義《れいぎ》をのべて立別《たちわか》れぬ。程なく約束《やくそく》せし。十九日の夜《よ》に入て。小|膳《ぜん》人をもつれず身ごしらへして。申合せし野邊《のべ》に行てしばし相待《あいまち》ぬれど。人かけも見えねば。すぐに茂兵衞|長屋《ながや》に行て。此せんぎせんと忍《しの》ひ/\に行けるに。跡《あと》に人の足《あし》をとすれば。竹垣《たけがき》に身|添《そへ》爰《こゝ》を大事と隱れける。其人を誰《たれ》そとおもへば。念比《ねんごろ》せし宇右衞門成が。目《め》のはやき侍《さふらひ》にて小|膳《ぜん》と見付《みつけ》。其まゝ立寄《たちより》是は何とも合點《がつてん》まいらず。只《たゞ》ひとり忍《しの》び給ふは。茂兵衞に情《なさけ》かたらひと見へたり。さもあれば。此男中々一|分《ぶん》立がたし。其《その》うへは茂兵衞其方|兩人《りやうにん》を相手《あいて》成とすこし腹立《ふくりう》道理《だうり》なり。小膳さはぐ風情《ふぜい》なく。是は入組《いりくみ》し子細《しさい》ありと。はじめの段々《だん/\》かたれば。いよ/\うらみ有。念比《ねんごろ》とはかゝる時の事なり。後《うしろ》づめには此宇右衞門たのもしき山ありとおぼしめし。茂兵衞うち給へと小膳に力《ちから》をそへて。屋形《やかた》に案内《あんない》させて。門に立聞すれば茂兵衞|分別《ふんべつ》かはりて。いまだ書置《かきをき》に取まぎれ。延引《ゑんいん》申なり。爰《こゝ》にまた相談《さうだん》有。宇右衞門と御|念比《ねんごろ》あそばさねば。此方に何のうらみもなし。それにうち果《はた》し所にもあらず。此方にはすこしも申分なひといふ。こなたにいんぶんなきと仰《あふ》せらるゝうへは。此方も其とをりと。何のせんもなき茂兵衞がしかたなり。それより宇右衞門と大|笑《わら》ひして立歸《たちかへ》り。なをたのもしき侍《さふらひ》。外《ほか》よりおもふには各別《かくべつ》。義理《ぎり》一ぺんのかたらひ。小膳がすがたの若松《わかまつ》。ちとせの春《はる》をかさね。すゑ/゛\武《ぶ》の家《いへ》さかへ太刀《たち》ぬかずしてをさまる時津國《ときつくに》久《ひさ》しき [#地付き]京寺町通五条上ル丁   [#地付き]山岡市兵衞 [#地付き]江戸日本橋万町角   [#地付き]萬屋清兵衞 貞享五戊辰歳   二月吉祥日 [#地付き]大坂心齋橋筋淡路町南江入丁   [#地付き]安井加兵衞梓 [#本文終わり] 底本:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1170421 入力:A-9 このテキストは、フロンティア学院図書館(https://arkfinn.github.io/frontier-library/)で作成されました。