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石油なくして何の新秩序の建設ぞ [#地付き]長谷川尚一  聖戰第三年。昭和一四年こそ愈々我國が中外に宣明せる東亞新秩序の建設に邁進し國力を擧げてこれが完成を期せねばならぬ。新秩序建設の成否は即ち我國存亡の岐るる所にして、今日こそ國民が創國以來未曾有の國難試練を體驗すべき非常重大の秋である。  支那人の一部に漸く日支事變に對する我國の眞意を諒解する者の出で來つたのは當然左もあるべきことである。然るに今まで陰で絲を曳いて蒋政權を踊らせて居た英米佛露は此形勢の推移に氣を揉んで、今までの黒頭巾を脱ぎ捨てゝ大ツ平に蒋政權の援助と新秩序建設の望外に乘りだして來た。斯くの如きは世界平和を賊するものであるから、國の何れたるを問はず斷乎として之を排撃せねばならぬ。  重慶に追込まれて氣息奄々たる蒋介石が依然長期抗戰終局の捷利を豪語して居るのは英米佛露が自己の政權を見殺しにせざるべきことを頼みとして居るからである。英米佛露は我國の新秩序建設に因り從來支那を植民地視して不當に搾取し來つた利權を失はんことを恐れ、蒋政權の援助、我新秩序の建設の妨害に苦心して居るが彼等は新秩序の建設によりてこそ始めて既得の權利を保ち得ることを覺らずして、その完成を妨害するのは、恰も自ら墓穴を掘るに等しく甚だ笑ふべき周章振りである。  米國政府は舊臘三十日、英國政府は一月十四日何れも東亞新秩序不承認の對日覺書を我國に提示して來た。蓋英米の對日歩調が形成せられたものであらう。これを見て佛國も亦英國の尻馬に乘つて一月十九日新秩序不承認の通牒を日本に突つけた。英國は百億圓の豫算を以て軍備擴張を稱へ。米國は四萬五千噸級の戰鬪艦二艘の建造、六ヶ月間に飛行機一萬臺を有する空軍の計畫を發表して居る。ソ聯は革命後世界の落伍者であつたが、あらゆる苦難を忍んで第一次第二次の五ヶ年計畫を斷行した結果今や軍備に於て世界の一流國となつた。殊に軍の機械化に邁進し飛行機に於て世界第一位にある。斯くて我國は英米佛露の包圍的妨害を排して飽くまで新秩序の建設に邁進せねばならぬ立場にある。新聞の傳ふる所によれば我外務當局は英米の盛に宣傳する對日經濟壓迫は我國の對支積極行動を牽制せんが爲めの恫喝に過ぎず決して之れを斷行するの決意はないと樂觀し、民間有力者にして同樣の樂觀的見解を有するものも又少からぬ樣である。英米の對日經濟壓迫が果して彼等の寛容する恫喝に過ぎざるか將又實行の決意あるかは一に彼等の恫喝が實行力を伴つて居るか否かに依りて決するのである。我國が日露戰爭後の三國干渉で遼東半島を吐出さゝれ、世界戰爭後に山東の還附を餘儀なくされて血涙を呑んだのは抵抗力のない我國が實力の伴つた恫喝の前に屈伏した結果であつた。此の苦い經驗を繰返さぬ爲めには英米佛露の包圍的恫喝にビクともせぬ丈けの實力を備へて置くより外ないのである。  假りに英米佛が束になつてやつて來やうとも、我國は適當な所まで出迎へて料理すれば良いのであるから恐るゝに足らぬが、地續きのソ聯は左樣に簡單には行かない。一朝、日ソの平和が破れると、ソ聯の戰車自動車隊は即時越境して滿洲國へやつて來る、彼の飛行機は二、三時間で我國の主要都市の上空に現はれるものと覺悟せねばならぬ。之に反して我空軍はソ聯の末梢部を襲ふことは出來ても心臟部を衝くことは不可能である。ソ聯國内の事情は到底我國との開戰を許さぬ等と樂觀して居るのは迂濶千萬である。張鼓峰事件で失敗したソ聯は手を更へて北海漁業權問題で飽くまで横車を押し、我國の頭を叩き尻を蹴つてその堪忍袋を測量して居る。我國の堪忍袋が破裂すれば其時に一寸刻みに讓歩すれば良いと見て居る。頭を叩かれ尻を蹴られても我國が嚴重抗議以上に出ぬと見れば必づやつて來るのである。  一、二年來歐羅巴の國際關係が危機一髮の間際に平和を保ち得たのは英國が獨伊の空軍力の前に頭を下げなければならなかつた爲めである。獨逸空軍は實に一萬臺の飛行機を有し尚一ヶ月に一千臺の製造能力がある。伊太利も亦獨逸に匹敵する優秀な空軍力を持つて居る。即ち歐羅巴の平和は獨伊の壓倒的空軍力によりて保たれて居る實情である。今や我國は飽くまで英米佛露の妨害を排して東亞の新秩序建設を完成しなければならぬ。若しこれに失敗すれば我國は亞細亞大陸から手を引いて終はねばならぬ。否其時こそ英米佛露の袋叩きに遭つて本土をも失ふかも知れぬ。今日は斷然前進あるのみ、絶對に退却を許さぬ場合である。即ち彼等が束になつて來ても驚かない丈けの軍備の充實を行ひ國を賭して新秩序の建設を完成する外ないのである。顧みれば昭和九年一月我國の國際聯盟脱退に際し、余は「重大時局に處するの途一に軍備の充實あるのみ」と題する論文を公にし、非常時公債十億圓を發行して三年間に飛行機五千臺を有する空軍を完備せんことを主張したが何人も顧みるものがなかつた。聯盟脱退時に較べて今や時勢は更に一轉した。我國が英米佛露の妨害を排して東亞の新秩序の建設を完成せんが爲めには空軍力及其製造力に於て世界第一たることを理想とせねばならぬ。現在の世界情勢に鑑み我國は差當り一萬五千臺の飛行機を有する空軍と一萬五千臺の戰車、百五十萬臺の自動車を用意せねば大陸發展は不可能である。日支事變に於ける我空軍の壓倒的威力は列國環視の前に試驗濟である。新秩序の建設に伴ひ日滿支の經濟的提携により我國は石炭、鐵、棉花、羊毛其他凡ての必要原料を自給自足し得るを以て、發達せる工業能力と相俟つて飛行機戰車自動車等の製造能力に於て世界に冠絶すること決して難くないのである。茲に於て唯一の惱とする所は液體燃料の問題である。如何に空軍力を充實してもその原動力たる液體燃料なくては航空機は其の威力を發揮しないのである。軍艦、戰車、自動車其他交通運輸工業に於ても亦然りである。我國は日支事變前すら三億圓以上の石油を外國から買つて居た。日支事變の始まつた十二年度には五億三四千萬圓の金貨を石油代として拂出したであろふ。東亞新秩序の建設を完成する爲めに世界第一の航空力を支へるに必要な莫大な數量の石油を何所から手に入れるのであるか。支那で石油が得られず、東洋方面で一大油田を手に入れる方法がないとすれば更に現在石油代として外國に支拂つて居る金貨の數倍を支拂はねばならぬ、萬一金貨を拂つても外國から石油が買へぬとなつたら我國の血液の循環は忽ち止まつて終つて、新秩序建設等思ひも寄らぬのである。  余は二十余年來絶えず國家の存立上液體燃料特に石油自給自足が絶對に必要條件なること、確乎たる石油國策の樹立一日を緩ふすべからざることを絶叫して來た。然かも我國の朝野は此國家の存亡に關する燃料問題を閑却して終に今日絶對絶命の危機に直面して終つた。近時稍燃料問題が重視せらるゝに至つたが、我國の燃料政策が國内石油資源の開發を忘れて人造石油に重點を置き、以て液體燃料問題を解決せんとするものの樣であるが蓋本末を顚倒せるものである。此の如きは我國の石油資源は貧弱なりといふ誤れる論據に出發して居る結果であるが、此論據こそ實に我石油事業の進歩發達を阻害し來つた癌である。  余は我國の石油資源は豐富有望なりと斷言する。唯手を拱ねて開發しない爲めに石油が出ない丈けのことである、我國は南は臺灣より北は樺太に至るまで無慮百億坪の含油地帶に惠まれて居る、然かも其開發せられたるもの一割に足らず、石油事業資金僅に二億圓、有望なる油田は到る所天然のまゝ放擲せられて開發の手を待つて居る。此の如きは決して漫然たる斷案でなく秋田新潟其他油田の實際が開發すれば石油は必ず出ることを如實に立證して居るのである。蓋我國の石油事業に關する法制は我國の石油資源は貧弱なりといふ斷案に本づき、我國の石油事業を幾分なりとも進歩發達せしめんとする補助奬勵の主意の下に立案せられたるものにして、石油がなくては國家の生存に差支へるといふ現在の世界情勢に立脚する國策的制度でないのであるから、現在の石油事業法を如何に改正して見ても國策の見地に立脚した法制とはならないのである。 [#ここから太字]  國内石油資源開發に必要なる物的要素も人的要素も國策を斷行せざる限り如何なる方法を以てしても之に達成することは不可能である。 [#ここで太字終わり]  これ燃料國策研究會が國策的見地から新に燃料省を設けて燃料に關する一切の事務を專管せしめ、人造石油事業を起すと同時に劃期的試掘を行ひ國内石油資源の開發を強行すべきことを政府當局に建白し其實現を要望して居る所以である。  國内石油資源の開發に關しては余が二十年來反復發表した石油國策論及燃料國策研究會の發行した論文に言盡して餘す所はないのである。英米佛露の妨害壓迫を排して東亞新秩序の建設に邁進し、記念すべき紀元二千六百年を明年に迎へ世界第一の新日本を建設して、世界の平和人類の福祉に貢献することは誠に日本國民に下されたる天の啓示である。この人類史上空前の重大使命を達成するには、國家活動の源泉たる液體燃料の自給自足に邁進する爲め先以て國内石油資源開發の國策的發動を提唱する所以である。  參考として「重大時局に處するの途一に軍備の充實あるのみ」(昭和九年一月)及「年頭苦言」(昭和十二年一月)の二論文を附録とした。我國の液體燃料政策が三十年一日毫も進歩の認むべき無く世界の大勢に置去られ、今日重ねて舊露文の再讀を希ふ必要を痛感するのは余の遺憾に堪へざる所にして、余の數十編の石油國策論の如きは陳腐の舊説として葬り去らるゝ程に我國の朝野が石油問題に覺醒する日の一日も速ならんことを祈りて止まぬのである。 昭和十四年一月二十五日 印刷 昭和十四年一月二十八日 發行 〔非賣品〕 著作者        長谷川尚一 發行者      東京市麹町區内幸町二丁目八番地        矢田泰藏 發行所      東京市麹町區内幸町二丁目八番地        燃料國策研究會 印刷所      東京市京橋區銀座西一丁目七番地        福神製本印刷所 [#本文終わり] 底本:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1091799 [#1字下げ]長谷川尚一(1939)『石油なくして何の新秩序の建設ぞ』燃料国策研究会. 入力:A-9 このテキストは、フロンティア学院図書館(https://arkfinn.github.io/frontier-library/)で作成されました。